胎内記憶

胎内記憶って本当にあるのか、娘が幼稚園の時に尋ねたことがある。

 

あのね、おかあさんのお腹から出てきておかあさんの顔が見えてうれしかったよ。

早く生まれたいよ~って思っていたよ。

こんなかっこうで(膝を丸めて)ぐるぐる回ってたの。 それでね、立ったの。

お腹が時々ブルブルって揺れてね、立ったけどちょっとぐらぐらしちゃった。

おかあさん、早く生まれておいでって言ったでしょ?

聞こえたよ。

お腹の中はこんな色でね(手を指差しながら) 一人でいたから寂しかったの。

 

娘を寝かしつけながら聞いたことを、ちゃんと日記に書き残してあった。

お腹にいたときには逆子で、よく動く子だった。

妊娠後期には逆子から横位になっていたし

何よりも深夜にこんな色だよと手の甲を指差したときには鳥肌が立った。

多少は生まれてからの記憶や体験による話だったとしても、すべてが創作だとは思えない。

神秘的な話としておけばいいのではないか。

当時の日記を読み返すと、娘との会話がいくつも書いてあって

たわいもない会話だけれど本当に可愛らしい。

いつまでも純粋な気持ちを持ち続けて欲しいと願うばかりだ。

お誕生日おめでとう。

2010年11月5日

卒業式

入学式のときに、自由な校風だなぁと思っていたけれど

やっぱり卒業式も同様で、個性的なファッションが多く目に楽しい卒業式だった。

実際、娘の学んでいることには傍で見守るしかなくあまり役に立ったわけでもないが

友人の中で笑っている娘を見ていると

課題は大変だったけれど本当に楽しい4年間だったんだなぁと感じられて

親としても今日で一区切りついた安堵感がある。

ただ心残りは、もっと就活に口を出したほうがよかったかな?ということ。

100年に1度の不況とはいえ、就職できた学生もいるわけだし

視野を拡げて考えるように導いてあげればよかったのか。

わたしは偶然取得できた資格で、仕事をしている。

たぶん既婚者で単身赴任の女性社員は、わたし以外社内にはいない。

家族にはかなり負担をかけているのだろうけれど、仕事は充実しているし、やりがいもある。

学んだことがライフワークになれるような生き方ができたらそれが一番幸せなことなのかもしれない。

人生はまだ始まったばかり。

娘にもそんなライフワークと出会えることを願うばかりだ。

卒業、おめでとう。

チャンスの神様には前髪しかないという。

通り過ぎてから後ろの髪の毛を掴もうとしても掴めない。

チャンスが来たと思ったらためらわず掴む行動力を発揮し

あなたが本当にやりたいことをしてほしい。

あなたらしく生きることが、親の願いなのだから。

2010年3月15日

眠れる獅子

メニュー担当の栄養士3人が年始の挨拶に来た。

昨年末から加わった新人にとってI部長は「心を開いてくれない」存在なのだという。

たしかにI部長は愛想がいいほうではなく、初対面の人にはとっつきにくい。

好き嫌いがはっきりしているらしく、第一印象で勝手に「苦手な人」という判断をしてしまうようだ。

ところがそんな無愛想な部長が、わたしと話しているときには

冗談を言ったり、笑って普通に会話しているので、傍で見ている人たちは不思議に思うらしい。

そういえば以前先輩栄養士からも同じように言われたことがあった。

ただ単純にわたしが物怖じしないだけなのか?

それとも、よほどI部長を扱うコツをわかっているのか?

ひょっとしたら部長はわたしを「人」としてではなく

「珍獣やペット」としてみているからなのか?

などと、N部長はわたしのI部長への接し方に感心しているそうだ。

 

・・・「珍獣やペット」って、なんだよ(苦笑)

 

わたしも初対面なのにずかずか心に入り込んでくる無神経さは苦手だし

馴れ馴れしい人もできればご勘弁願いたい。

「とっつきにくい」「第一印象が恐い人」と思われている共通点があるし

I部長とわたしは性格や考え方が似ているのかもしれない。

わたしが新卒で入社したときに、I部長は本社にいた栄養士だった。

たぶん付き合いが長い分、気を許しているだけなのだと思うのだけど

実は「コツ」がないわけでもない。

それは部長に対してだけでなく、誰に対してでもそうなのだが

「面倒なことになりそうだったら、逆らわない」

これに尽きる。

わたしはもともと一言多くて、何度も嫌な思いをしたり損をしてきた。

核心を突く一言で相手をやりこめることが得意だったが

大人になるにつれてその言葉を飲み込み脳内で相手を抹殺することにした。

文句を言いながらでも結局は仕事をしなくてはならないのであれば

黙ってやるほうが美徳なのではないかと考えるようになった。

昔に比べたら吼えないし噛み付かなくなったけれど

それは面倒なことにかかわるのがわずらわしいだけで

無意識に危険回避する動物的勘が働くようになったのかもしれない。

眠れる獅子のまま、放っておいてほしいものだ。

2010年1月7日

「新」

あっという間に大晦日。

この1年はいったいどんな年だったのだろうと、日記を読み返してみた。

兄の骨折手術に始まり、母の入院、

今年の漢字「新」のとおり、新型インフルエンザに振り回され

栄養士会議の開催、衛生巡回、資料・顛末書の作成など 、孤軍奮闘の慌しい1年だったように思う。

ストレスで5kgも体重が増えた。

 

日記には愚痴ばかりが目立つ。

文章にすると記録として残ってしまうので本心全てを書けるわけではない。

行間に悩みや怒りや落胆やらがちりばめられているのが読み取れる。

それを1つ1つ乗り越えようと頑張ってきたのかなと思うと

本当に充実していた1年だったように感じる。

新年早々社名が変わるので、新しい環境が待っている。

はたしてどんな仕事が待ち受けているのか、楽しみでもある。

自分が自分らしく、パワフルに、自由に思ったとおりに行動できるよう

あたたかく見守ってほしいと願っている。

今年もお世話になりました。

本当にありがとうございました。

そして、来年も家族共々よろしくお願いいたします。

2009年12月31日

通常の3倍

本日の歩行。

歩数 13893歩。
歩行時間 02:19:49
エクササイズ(EX) 6.9
移動距離 8.3km
消費カロリー 535.8kcal
脂肪燃焼量 76.5g

2日続けて、目標の1万歩をクリアした。

この世の中で嫌いなことベスト3には入るであろう「歩く」という行為を

何故できたかというと、理由は簡単。

26日に数量限定で発売になった「シャア専用ガラスカップ」が欲しくて

巡回中ふだんならタクシーやバスを使って行く道すがら

コンビニやスーパーを1軒ずつ歩いて廻ったからだ。

通常の3倍歩いたのだよ。

このわたしがわざわざ歩いて探しているのに見つからない。

すでにヤフオクでは1500円で出品されている。

だんだん腹立たしくなってきて、今日はもうこれであきらめようと

最後に入った会社の近くのコンビニに山積みとなっていたのを見た瞬間

灯台下暗しとはよく言ったものだとため息をつきながら

26日に行ったときには店頭になかったのに・・・と

あまりの悔しさに、思わず2個つかんでいた。

そんなこんなで、銀婚式の記念日を過ごしたわたしって、いったい・・・

2009年10月28日

信頼と裏切り

先週からTVではアイドル女優のスキャンダルで大騒ぎだ。

失踪を心配していたのに、潜伏だとか逃亡だとか表現が変わり

逮捕されたとたんに世間が「あぁ、やっぱりね」みたいな反応に変わっていく。

業界内ではこの手のうわさが多数あり、名前があがっていたらしい。

みんなが暗黙の了解で口をつぐんでいたとはなんとも寒々しい世界だ。

わたしはといえば、それってどう使うの?どうして入手できるの?とまったく縁遠いところの話で

逃亡と聞いても、自らが使用しているとは夢にも思わなかったのだから

かなりおめでたい人種だということか。

 

誰でもストレスをなにかしら抱えて生活しているのだろうけど

そもそも、そういうものに逃げる気持ちが理解できない。

たぶんわたしは今までに

自分では処理できないほどの大きなストレスを抱えたという意識さえ無いのかもしれない。

それでもちょっと息抜きしたいなぁと思ったときには

周囲には見守ってくれる家族や友人がいてストレスを自然と忘れさせてくれるのだと思う。

彼女の周囲にもそんな温かな環境があることに気づいていたら

薬に依存する生活を選ぶこともなかっただろうに、気の毒でならない。

擁護する気は全くない。

彼女の行動は、信頼していた人たちを裏切ったのだし社会に与えた影響は非常に大きい。

断る勇気さえあればこれほどに大切なものを失うこともなかったはずなのに。

とはいうものの、禁煙すらできないわたしに説得力などないかもだけど。

2009年8月10日

チャンス

来週栄養士会議を開催すると知って、品質担当の役員からメールが入った。

何のためにどんな内容でするのか?自分も参加していいかどうか?会議では本音トークか?

などの矢継ぎ早の質問の最後に、うちの会社側から見て役員がエイリアンに見えるか?とあった。

そこでわたしは、社内ので栄養士の立場と意識の低さの現状を説明し

会議を定例化することで、育成を図りたいのだと訴えた。

「役員がエイリアンであれば、うちの栄養士たちはプレデター(姿が見えず存在感がない)だと思います」

と返信したら、座布団3枚という件名でさらにメールが続いた。

そんなわけで、金曜に別件の会議で本社に行ったついでに役員のところに顔をだし

今後のことをちょっと相談してきた。

 

入社以来ずっとくすぶっていた社内での栄養士待遇に対しての不満が

昨年転籍したことでさらにわたしのなかで具現化していた。

転籍先では栄養士の位置づけがはっきりしていて、幹部も全面的にバックアップしていた。

仕事は大変だったけれど見合った評価もあり、仕事のしやすい環境だった。

ところが、新組織でまたもとの会社に逆戻り。

幹部もまだばたばたしているのでわたしには何も指示がなく野放し状態だ。

1年間他支社で勉強してきたのだから、自分で考えて行動しろということか。

今の会社では報告さえしていればわたしのやりたいようにさせてくれる。

それはそれでいいのだろうけれど

社内の栄養士全てがわたしのように自由にできるわけではなく

彼女たちがどんなふうに思い、考え、業務をしているのかが見えてこない。

ひょっとしたら現状に満足している人もいるかもしれない。

でも漠然とこのままではいけないと考えている人がいるに違いない。

コミュニケーションをとりながら今後の方向性を決めたいと思っている。

野放しにされている今が、本当はチャンスなのかもしれない。

 

その後役員から会議前に話がしたいというメールが届き、エイリアンVSプレデターの闘いが勃発。

栄養士が育たない環境を危惧して対策を立てるのは、わたしの仕事ではなく

本来は上層部が考えなくてはならないことだというのが役員の言い分。

それをわたしにまかせきりにしている会社の体質が悪いのだという。

そんなことは言われなくても十分に理解している。

だからこそ栄養士を集めることが意識改革をしていく第一歩となるのではないか。

ずっと同じ会社にいる栄養士と比べて、他支社の栄養士の活躍はめざましい。

新人だったあの子がもうこんな役割までしているのかと驚かされる。

世代交代が進む中、うちの会社の栄養士は相変わらず現場を離れられない。

それはたぶん営業所の所長のレベルが低くて、栄養士のサポートなしでは業務が滞るからなのだろう。

現場業務が好きな栄養士もいる。

全ての人がわたしのように上昇志向を持っているわけではないのかもしれない。

でも、誰でも各々が「目指すこと」があるはずで

栄養士会議がそれを引き出すためのきっかけになればいいと思っている。

たしかに役員が言うように、わたしの仕事は衛生管理であって教育担当ではない。

だからあえて栄養士会議内容を衛生とメニューの情報交換の場としたのだが

今後は会議内容を改善しながら進めていこうと考えている。

まずは、第一歩。

なんて、かっこいいことを言っているが

実は、わたしが衛生巡回に訪れても全く無関心で、他人事としか思っていない

無愛想な栄養士に喝を入れたいだけなのかもしれない。

2009年4月25日

ハートワーク

衛生管理のように、きっちりマニュアルを守ることが正しいものは別として

わたしはもともと規則に縛られた行動はあまり好きではない。

10個ドーナツを買ったとして「お召し上がりですか?」と聞かれたら

「さすがに一人では食べられないですよ」と答えてしまうほどマニュアル人間は苦手だったりする。

ところが、何を思ったかふと目にした本を購入し、一気に読んでしまった。

 

「だから、あなたの部下は育たない!」

 

大きく伸びる人材は、第一にハートワークがしっかりしているらしい。

①ハートワーク(情熱ある仕事)

②フットワーク(抜群の行動力)

③ハードワーク(よく働く)

④ヘッドワーク(知恵ある仕事)

⑤ネットワーク(人脈)

自分がなぜ働くのかという仕事観を確立し

スキルが未熟な若いうちは足を動かし汗を流し

スキルを覚えたら集中的に働いてそれを磨き上げ

経験から導き出したノウハウを加えて総合力を身につける。

総合力がついたら、いよいよ収穫期になる。

この順番を間違えると、本来は伸びるはずの人材も伸びない。

 

なるほどなぁと感心したものの、よく考えてみたら当たり前のことなのだが

意外とこの当たり前のことができず

自分の身に何も果実が実っていないのに、収穫を望むパターンが多い。

結婚後、在宅栄養士として保健所で栄養指導をしていた頃の

スキルも経験もないくせに偉そうに指導をしていた自分を思い返すと本当に恥ずかしくなる。

しかし、今のわたしはすでに人生の半分以上を「栄養士」として生きていて

このノウハウを次世代に伝えていかなくてはならない立場にある。

今の自分の行動が3年後の自分を作り

今現在の自分がどんな仕事をするかで、3ヵ月後の実績が決まるそうだ。

目標を1つずつクリアしていくしかない。

2009年3月19日

コミュニケーション

会議資料作成のために本社に集合するたびに

だんだんこのメンバーでのミーティングにも慣れてきたように感じる。

コミュニケーションがいかに重要かよくわかる。

といってもたぶん、勝手に壁を作っていたのはわたし。

子供のころから自分の意見は正しいと自信を持って発言してきた。

ある日、正論をぶつけること、感情のままに動くことが必ずしも正義ではないと思い知らされる。

すると自分の言動が相手にどのように受け止められているのか?と

言葉にする前に考えるようになり、初対面の人には警戒するようになった。

わざわざ自分から声をかけなくてもいいと思うようになり、だんだん話すのが面倒になっていった。

こういうわたしを受け入れてくれる友人がいればそれでいいと思っていた。

たぶん学生時代は非常に冷めた人間関係だったのではないかと思う。

しかし大人になるとそういうわけにはいかない。

いやでも新しい環境のなかで人と関わっていかなくてはならない。

意識して自分から話しかけなくてはならない状況もうまれてくる。

だいぶ改善されたと思うのだが

今でも気を抜くと、ふっと無表情に周囲を客観視している自分に気づく。

いつもわたしと接している人は、あんなにおおざっぱなのに?と笑うだろうけれど

それは何をしても何を言っても相手が許してくれるだろうと思っているから。

これでも案外複雑に考えていたりするんだな、うん。

2009年2月7日

やりぬく気持ち

今年の箱根駅伝は、東洋大学が総合優勝を飾り幕を閉じた。

個人的には静岡県出身の東海大学佐藤悠基選手を応援していた。

4年連続区間新記録の期待もかかっていた。

残念ながら早大の竹澤選手に38秒及ばなかったが13人抜きで新たな記録を樹立した。

日大のダニエルの20人抜きもすばらしい記録だ。

しかし、これらの記録は下位順位でたすきを受けなければ実現しない。

1人の力では勝てないのが駅伝のおもしろいところだろう。

8区では城西大学が途中棄権となり、繰上げスタートした主将が記録には残らない幻の区間1位を出した。

33年ぶりに出場した青学は、順位はふるわなかったものの

最終走者も、それを迎える選手たちもみんな笑顔だった。

優勝であったり、シード権であったり、たすきをつなぎきることであったり

出場するチームの目標はそれぞれ違っているのだろうが

最後まであきらめずにがんばりぬく姿勢が魅力であることに変わりはない。

筋書きのないドラマだからこそ観客に感動を与えるのだ。

で、自分に置き換えてみる。

最後まであきらめずにやりぬいたと自信も持って言えることがあっただろうか?

うーん・・・

思いつかないところをみると、ないらしい(苦笑)

そんなわたしですが、今年もよろしくお願いいたします。

2009年1月3日