義に殉じた武士の血は三年たつと碧色になる。
国内最大の内戦となった戊辰戦争で命を落とした旧幕府軍の土方歳三ら約800人を慰霊する碑名として
碧血は中国の故事から用いられたものです。
終戦後、新政府軍は旧幕府軍戦死者の埋葬を許しませんでしたが、それに異を唱えたのが侠客の柳川熊吉でした。
熊吉は実行寺住職の日隆らの協力を得て、打ち首を覚悟しながらも、町中に放置されている遺体を回収します。
結果的に処刑を免れた熊吉は、函館山の山麓に土地を購入し、実行寺などに収めていた遺体を改葬。
7回忌にあたる1875年、旧幕府軍の中心メンバーであった大鳥圭介や榎本武揚らの協賛を得て碑を建てたそうです。
行く先々の史跡にはモニュメントが建っているのですが
ご先祖様の写真と並ぶと本当に榎本さんはそっくりで、お父様より似ていると言われているそうです。
前回もそうでしたが、ここは本当にちょっとした登山で(笑)歩幅が合わない階段に膝がガクガクでした。

