新選組屯所跡地、称名寺をバスで通り過ぎ、本日最後の見学地弁天台場跡、新選組最後の地碑に向かう頃には
もう薄暗くなっていました。
江戸幕府が箱館湾口の防備のために、1856年から約8年をかけて築造した不等辺六角形の軍事要塞が弁天台場です。
完成した1863年は文久3年で、文久3年と言えば土方さんたちが浪士組として京に向かった年です。
1869年旧暦5月11日、新政府軍による箱館総攻撃の当日
弁天台場では箱館奉行、新選組隊士を含めた約240名が守備に当たっていましたが、新政府軍の攻撃を受け
土方さんは箱館の市街や弁天台場を救援すべく一隊を率いて一本木関門からの進撃を試みたものの狙撃され落命。
市街地が新政府側の手に落ちたことにより、弁天台場の旧幕府軍は孤立し、箱館奉行ともども降伏。
これにより新選組の戦いは終わり、函館は新選組最後の地となりました。
周囲の薄暗さがさらに悲しみを深めていきます。
そんな中、島田魁さんのモニュメントを見て、にゃんズはどうしているかなぁ?と思いました。
ティファを亡くしてペットロスになったけーちゃんが
血統書付きより保護猫のほうが逞しく長生きするだろうと選んだのが、魁です。
函館戦争を生き抜いた島田魁さんの名前をいただいたので、隊士の中でも特に推す存在です。
ここで新聞社の取材があったのですが、予定より40分ほど遅れて到着したのでずいぶん待たせてしまったようです。
いつ販売される新聞なのかなぁ?見ることができたらいいなぁと思いながらホテルに向かいました。



