土方歳三の最期の地については諸説ありますが、最も有力とされているのが「一本木関門」です。
その跡地に近い若松緑地公園の中に、「土方歳三最後の地碑」が建立されています。
1869年5月11日、新政府軍の箱館総攻撃が開始され
島田魁らが死守していた弁天台場が新政府軍に包囲され孤立したため
歳三は籠城戦を嫌って僅かな兵を率いて出陣し、一本木関門を死守し七重浜より攻めてくる新政府軍に応戦。
馬上で指揮を執るが乱戦の中、銃弾を腹部に受け落馬し、そのまま落命したと言われています。
以前見たTV番組で、実は土方さんは味方に暗殺されたという説があることを知りました。
旧幕府軍の幹部で死んだのは土方さんだけで、その死後すぐに降伏したことが暗殺説に繋がっているようです。
たしかに、共に戦っていたはずの榎本さんはその後投獄されたものの明治政府で内閣に入ったわけで
今回のツアーで、そのあたりをお聞きしたかったのですが、どうしても聞くことはできませんでした。
わたしとしては、榎本さんが土方さんの遺志を継いで未来に進もうとしたと思いたいです。
よしや身は 蝦夷とふ島辺に 朽ちぬとも 魂は東の君やまもらむ
激動の時代を駆け抜け、最期まで「武士よりも武士らしく」生きた土方さんの生きざまは、誠のもののふでした。
兼さんも国広も、土方さんの最期の日には一緒にいることはできませんでした。
一緒に、平和な日本の礎をつくってくれた土方さんに感謝しましょうね。
合掌。




