魚三楼を出て、少し歩くと団地の入り口に碑が立っています。
慶応3年12月9日に王政復古の大号令が下されると
会津藩の命を受けた新選組は、伏見方面の治安維持の名目で伏見奉行所へ駐屯することとなり
16日には近藤勇を隊長に総勢150名が伏見奉行所に入りました。
ところがその2日後に近藤勇は伏見奉行所へ帰る途中に伏見街道の墨染で狙撃されてしまいます。
その後新政府軍の砲弾で伏見奉行所が炎上し、旧幕府軍は敗走することとなります。
御香宮神社と伏見奉行所は本当に目と鼻の先で
こんな至近距離で砲弾を浴びたらひとたまりもなかったのだろうと思うと
刀の時代が終わることを土方さんも実感していたのではないかと感じずにはいられませんでした。