眠るように

昨日11時ごろに、携帯がなりました。

ふだん仕事中にはあまり電話をとらず、時間が出来たときにかけ直したりすることが多いのですが

中途半端な時間にかかってきた実家からの電話だったので妙な胸騒ぎがして出てみると

近所のおばさんの声で、父がまた救急車で運ばれたのだけれど

今回はどうも状態が尋常ではないからすぐに帰ってきてほしいとのこと。

浜松の営業所から病院までは、およそ2時間。

その間に何回も義姉や姪から電話が入り、父の容態がどんどん悪化していくのがわかります。

わたしは、たぶん父の最期には間に合わないだろうと思い取り乱すことがないようにと覚悟を決めました。

 

今朝、父は整形外科に行こうと準備をしていました。

急に、「目が回る、気持ち悪い」と座り込み「頭の中が真っ白になっていく感じだ」

という言葉を最後に、意識がなくなったのだそうです。

わたしが病院に着く前に、すでに3度の心停止があり自発呼吸もできない脳死状態でした。

それでも、わたしが到着後、心拍数も血圧もあがり

岡山にいる甥や東京にいた娘が到着後は、数値も安定し

小康状態が続くようになったのでひとまず自宅に戻ってきたのでした。

深夜に病院から戻ってきて、お風呂に入っていると病院から呼び出しがあり、再度父のところに向かいました。

帰るときは112-66と安定していた血圧があっという間に60以下に落ち、危険な状態が続いていました。

昼間病室に入ったときに、病状について説明を受けました。

すでに意識がなく、人工呼吸器をはずしたらそのまま終わると。

このままの状態でも、もって数時間ということでした。

父は入院するたびに余計な延命措置は必要ないと言っていました。

父の意思を尊重するのであればこの装置ははずしてあげたいと思いました。

だけど、誰もそれを許してはくれませんでした。

ただこのまま静かに逝くことを見守っていくしかなかったのです。

 

11月7日 午前2時30分。

父は眠るように77年の生涯を閉じたのでした。

2006年11月7日