待つことが嫌い、協調性がなく団体行動が苦手、計画を立てるのもめんどくさい
そんなわたしが2.5次元舞台にハマってから変わりました
物販に辛抱よく並び、知らない人に声をかけ、聖地巡礼ツアーに出かけ、京都旅行には自らルートを考え・・・
ヲタな旅行の覚書です
Travel book
旅行嫌いなのに旅行記
山姥切国広展 -名匠の軌跡、名刀の誕生‐ 2025年3月7日:あしかがフラワーパーク
まんばちゃんの等身大パネルが設置されているのが、美術館、足利学校、フラワーパーク。
遅いランチを済ませ、帰りがけに足利フラワーパークに寄ることにしました。
ラーメンは、もっちりとした太麺が特長的で美味しかったです。
藤の花が有名なあしかがフラワーパークは、この時期はチューリップと梅が見ごろです。
園内にはほぼ審神者ではないかという人ばかりで(笑)
レストランでは、ほとんどのお客さんがまんばちゃんパフェを食べていました。
次回は是非ライトアップされた幻想的な藤棚を見に来たいところです。
今回の足利訪問は、前回の仕事の合間にこっそり見に出かけた時と違って
観光やお土産選びもゆっくりできたので楽しかったです。
平日にこれだけの観光客を呼び寄せることができるまんばちゃんはすごいですね。
個人所有から足利市が譲り受けたことで、定期的に会うことができるようになるでしょうから
今後も会いに行けると思うと、楽しみがまた増えました。
山姥切国広展 -名匠の軌跡、名刀の誕生‐ 2025年3月7日:伯仲燦然
足利市の公式HPより抜粋
『伯仲燦然』という言葉は、輝かしい2振の名刀が同時に展示されることをあらわしています。
「本作長義」と「山姥切国広」はその姿が非常に近しいことから本歌(本作長義)と写し(山姥切国広)であると伝わり
双方が今日まで現存しつつ、ともに重要文化財に指定されている唯一の存在です。
「本作長義」を主君より拝領した足利長尾家6代当主・長尾顕長がそれを名誉とし
刀工・国広にその旨の銘文を刻ませ、「本作長義」の写しとして作らせたのが「山姥切国広」だと考えられています。
顕長の所持からおよそ100年後、「本作長義」は尾張徳川家の所蔵となり今日まで名古屋に
「山姥切国広」は2024年に作刀の地とされる足利市で継承されることとなりました。
山姥切国広取得のため足利市のクラウドファンディングに参加し、わたしは3年間の共同オーナーとなっています。
まんばちゃんもちょぎも会うのはこれで2回目です。
刀ステでの本科にこだわる長義の印象が悪かったのですが(笑)
まっきーのイベントに参加した梅ちゃんのキャラと、その後の刀ステでの長義のセリフに
いつしか伯仲の存在であることを認め、ねんどろちゃんも購入したという経緯があるわけでして
今回も二振りのねんどろを持参しての鑑賞となりました。
刀の刃文を見比べると、写しであるまんばちゃんのほうが緩やかで美しく感じられましたが
それぞれの押形を比較すると長義のほうが細かく繊細な印象を受け、正しく伯仲の出来であると感じられました。
まんばちゃん、「綺麗とか、言うな」って言われても、やはりあなたは綺麗ですよ。
そして、帰路につく車中でまっきーが足利に来ていたことを知り、思わず叫んでしまいました。
同日に同じ空間にいられただけで、良しとしましょう。
山姥切国広展 -名匠の軌跡、名刀の誕生‐ 2025年3月7日:スタンプラリー
まんばちゃんに会いに、2度目の足利市へ。
7年前の前回は、わざわざ近隣の営業所へ行くようにスケジュールを立てて行ったのですが
今回は整理券をご用意させるために平日をチョイスして、有休を使って堂々と(笑)
入場できる13時までまだ時間があったので、まずはグッズを購入するために太平記館に向かいます。
ここでも整理券を配付していて順番に購入するシステムとなっていたのですが、すでに数点は完売となっていました。
そしてスタンプラリーの用紙をもらって、まずは通りの反対側の史跡足利学校へ。
庭園の梅が美しく、また声優さんたちのサインが置いてありました。
次は大日尊 鑁阿寺へ。
鑁阿寺(ばんなじ)は、鎌倉時代に足利義兼によって建立された真言宗大日派の本山で
本尊は源氏、足利氏の守り本尊である大日如来を祀るそうで、あぁだから髭切の御朱印があったのかと納得しました。
招き猫のおみくじをひいたら、「中吉」でした。
そして、いよいよ美術館に向かいます。
スタンプを3つゲットして、無事に記念品をゲットできました。
京都弾丸日帰りプチ旅行 20203年7月16日:八木邸
京都弾丸日帰りプチ旅行 20203年7月16日:新徳寺
毎回壬生寺に参拝するときに通ってくるお寺ですが、一度も入ったことがなくて
今回特別公開中だったので寄ってみました。
この本堂は、京都での将軍警護の名目で浪士を募集した清河八郎が演説を行った場所です。
将軍警護ではなく尊王攘夷を目指すと言ったことで決別した「壬生浪士組」
いわば新選組誕生のきっかけとなった場所に、関西新選組同好会メンバーが入ってきて
タイムスリップしたかのようで、ぐっときました。
写真を撮らせてくださいとお願いしたら、快くポーズを取ってくださりお菓子までいただきました。
帰宅して壬生寺での同好会の入場動画をアップしたら、隊員の方からツイートをいただきました。
猛暑の中この塩タブレットで生き返ることができて感謝しておりますとリツィートしました。
現代の新選組も、カッコいいです💛
京都弾丸日帰りプチ旅行 20203年7月16日:旧前川邸
前川邸に行く前に、壬生寺隣のだんだら珈琲店で腹ごしらえ。
いつの間にこんなところにカフェができたんだろうかと調べたら2021年7月16日で
もう2年も京都に来ていなかったんだなぁとしみじみ。
あっという間に溶けていくソフトクリーム(笑)
そして鱧バーガーは美味しかったけれど、もう少しソースを工夫したらいいかも?
たぶん汗をかきすぎて塩分を欲していたのだと思いますが(笑)
旧前川邸の東の蔵は、枡屋喜右衛門への拷問が行われその自白をもとに池田屋事件が起こった
いわば新選組を一躍有名にした原点ともいえる場所です。
二階の梁から下がっている滑車は当時のものだそうで、ここで土方さんが拷問したのかぁ・・・
かなりひどい拷問だったらしいですが
佐幕派と尊王攘夷派と話し合いでどうにかならなかったのかな?などと思ってしまうわけで
まぁ、そんなことができていたら「鬼の副長」として隊規を遵守させることもしなくて済んだかもですね。
京都弾丸日帰りプチ旅行 20203年7月16日:壬生寺
そうだ、京都いこう!
というわけで、新選組隊士等慰霊供養祭に参列するために、始発でGO!
バスターミナルは長蛇の列で、一旦並んだもののちょっと気になって「これはどこ行きの列ですか?」と聞いたら
清水方面だと知り、あぶない、あぶない、逆方向だ!
壬生寺方面の乗り場に移動したところ、ほんの数名しか待っていませんでした。
真っ青な空で、爽やかな灼熱地獄が待っています(笑)
いや、大好きな土方さんの胸像がお披露目とあらば、初日に行かずになんとする!という使命感が
夏の京都って暑いよね?祇園さんで混んでるよね?そもそも仕事持ち帰っているのに大丈夫かな?
という負のスパイラルを打ち負かしたわけで、豊玉の会メンバーと無事合流しコアな小隊が結成されました。
まずは、11時から始まる胸像の除幕式を待って、土方さんとご対面です。
新選組結成160年「土方歳三像」京都壬生に建立プロジェクトが昨年7月発足し
池田屋騒動のあった7月16日に無事お披露目になるとは、胸熱です。
最初の胸像デッサンを見た時に、普段見慣れた洋装の土方さんとは全く別の顔で大丈夫かな?と不安だったけれど
胸像の土方さんは凛々しく美しく、近藤さんより一段下に建立されているのも土方さんらしいなと。
願わくば並んで写真に納まるような構図であってほしかったけれど
是非土方さんのそばには梅の木を植えて欲しいなぁ、一輪咲いたら写真を撮りたいなぁ・・・などと妄想中。
壬生寺新選組隊土等慰霊供養祭が始まるまで、関西新選組同好会の演武を見たり、御朱印をいただいたり
特別展示を見たりして境内で過ごし、いよいよ記帳後お焼香をするために再度壬生塚へ。
新選組の墓前ではいつも「平和な時代を作る礎になってくださりありがとうございます」と祈り
そして常に信念を曲げずに闘った土方さんのようでありたいと自分に言い聞かせるのがルーティーンです。
もしもわたしが今20代だったりしたら、同好会に入ったりコンテストに応募したりしたのかなぁ?
今以上に推し事にのめりこんでいたのかなぁ?
いや、きっと長い歴史と経験があってこその「今」なんだろうなぁ・・・
会津若松旅行 2022年9月18日:天寧寺
鶴ヶ城を出てすぐの小洒落た喫茶店「CAFE·会津葵シルクロード文明館」で、休憩。
疲れた身体に甘い胡桃餅とコーヒーがしみわたり、旅行最後の地である天寧寺に向かいます。
天寧寺には近藤さんのお墓があります。
会津戦に参加していた土方さんが容保公に頼み、会津城下を見渡すことができるこの場所に建てたそうです。
お墓には遺髪が埋葬されていると言われています。
そして、近藤さんの隣には戊辰戦争終結後建立された土方さんの慰霊碑が並んでいます。
新選組展観覧後の締めにふさわしい場所だったのですが・・・
着いたのがもう5時近くで、お墓までの道は細くけっこうな坂道な上に雨だし、果たして本当に10分で行ける?となり
墓参は次回のお楽しみということで帰路に就くこととなりました。
高速道路に乗ったところで、天寧寺方向に虹が出ていました。
近藤さんが、土方さんが、今度はゆっくり会いに来てねと言っているかのようでした。
会津若松旅行 2022年9月18日:③鶴ヶ城
駐車場が満車と出ていたので、ラーメン屋さんからちょっと歩いたところのコインパーキングに止めて
歩き出したら雨が降ってきたうえに、お城のほうに車が進んでいくではないですか!
え~、満車じゃなかったの?と思いつつ、とぼとぼ。
博物館のチケットで割引が効いて、いざ城内へ!!
地元では鶴ヶ城と呼ばれているけれど、別名黒川城、会津若松城と言われ
「荒城の月」のモデルともなっているのだとか。
お城にはあまり詳しくないのですが、その造形美にはテンションがあがります。
・・・階段を上がる、上がる(汗)ですぐにテンションだだ下がりでしたが(笑)
ちょうど「幕末・戊辰戦争」をテーマにした収蔵品展を開催中でした。
天守閣から会津城下の大パノラマを見ながら、やはり浮かんでくるのは白虎隊のこと。
子供の頃はお城が燃えていると勘違いして自刃したと聞いていたのですが、実際はそうではなく
敵に捕まり生き恥を晒すより武士の本分を明らかにするための自刃だったようで
飯盛山から戦火に包まれる城下町とお城を見ながら、最期に何を思ったのでしょうね・・・
以前、日本国内で発生した合戦や紛争、事変などの発生場所を表示した投稿動画をTwitterで見たことがあって
室町時代から安土桃山時代の発生状況がすごくて、だからこそ徳川家康は戦のない時代を作りたかったんだろうな
江戸時代の終わりが、また戦禍の時代の始まりとなってしまったことがよくわかります。
新選組のファンだからこそ、戊辰戦争終結に至るまでの悲劇を思うとぐぬぬとなるわけですが
このような国を思い、民を思う人々の意思の先に、今の平和な時代があることを痛感し感謝することとなります。
鶴ヶ城は10月から3月末まで天守閣の工事に入るそうで、桜の咲く頃には美しいお城に変貌していることでしょう。