ホテルのダイニングで朝食です。
おばんざいがいっぱい並んでいたのであれもこれもと、トレイいっぱいに小鉢が乗りました。
これでは、焼きたてパンまでたどりつけそうになりません(笑)
この3日間、京都で食事をしていて思ったことですが
薄口しょうゆを使っているので、色は薄くてお上品そうな味にみえるのですが
京都の味付けって、塩辛くないですか?
ちょっと意外な感じがしました。
駅を降りるとすぐに朱塗りの楼門というアクセスのよさに喜んだのは言うまでもありません。
奥社奉拝所まで続く千本鳥居は圧巻でした。
奉納した名前に知っている名前なんかないよねと見ていると地元の病院名が見つかったりして。
神秘的なパワースポットでした。
ただ残念だったのは、参拝客のマナーの悪さでした。
言葉が通じない観光客だからしかたがないのかもしれないけれど
人のほうに向かってスプレーをふりまき続け、他人が吸い込んで咳をしているのに気づかない若い女性や
本殿は撮影禁止なのに平気でカメラを向けているおじさんや、千本鳥居を逆走する人など・・・
日本人もきっと海外で恥をかいているのだろうなぁと思いました。
一番笑えたのは、鳥居の中でかっこよくポージングしている男性の顔だけが残念だったこと。
いや、自分のことを棚にあげて言える話ではないですよね(笑)
妙心寺は臨済宗妙心寺派大本山で、山内は三門、仏殿、法堂などの伽藍を中心に47ヶ寺の塔頭があります。
常に公開されているのは「桂春院」「退蔵院」「大心院」と妙心寺「大方丈」だけ。
この旅行で唯一わたしが行きたいと譲らなかったのが妙心寺です。
高校の修学旅行で見た法堂の雲龍図をもう一度見たいと思っていました。
見る角度が変わると龍の動きが変わり、どこから見ても龍と目が合います。
迫力ある雲龍は、今も昔も変わらないすばらしいものでした。
龍安寺から妙心寺まで徒歩で移動するあいだ、食事ができそうな場所がなくて
結局京都駅まで戻ってきてからの遅いお昼でした。
金閣寺周辺で早めの食事をしておけば、退蔵院の美しい枯山水を見る時間があったかもしれません。
金閣寺に向かうためにバス停にいると、ちょっと品のいいおばあさんに話しかけられました。
京都の諸事情をいろいろ教えていただきました。
ご先祖様から受け継いだ歴史の重さを感じます。
我が家のご先祖様は武田勝頼の足軽大将だったと言っても
このおばあさんにはまだまだ浅いと一笑にふされそうな気がします。
バスを降りるとまたしても人、人、人です。
室町幕府三代将軍、足利義満が建立した金閣寺は、北山文化のシンボルともいえる寺院です。
まばゆい光を放つ舎利殿は、初層が寝殿造、二層が武家造、三層が禅宗仏殿造と
それぞれが異なる建築様式が用いられています。
京都人は「先の戦争」は第二次世界大戦ではなく応仁の乱だというらしいけれど
こんな華やかな空間にいたら、それもありだなと思わずにはいられませんでした。
京都は鴨川を中心に町づくりがなされており、鴨川の下流にまつられているお社というところから
「下鴨さん」とか「下鴨神社」と親しくよばれていますが
正式には「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」と呼びます。
相生社の側に「連理の賢木(れんりのさかき)」という不思議なご神木があります。
2本の木が途中から1本に結ばれていて、縁結びの神のお力で結ばれたと言い伝えられています。
不思議なことにこの木が枯れると、下鴨神社境内の糺の森に同じように結ばれた木が見つかるそうで
現在のご神木も4代目だそうです。
この縁結びのご神木は「京の七不思議」の一つとされています。
おみくじを引いた娘にもいいご縁がありますように・・・
糺の森の南側にある河合神社境内には
末社「任部社(とべしゃ)」と呼ばれる八咫烏(やたのからす)をまつる神社があるのですが
そこまでは歩いていけませんでした。