娘が帰省してきてからずっと腰が痛いと言っていて
年が明けてようやく病院に行ってきました。
原因はよくわからないようですが、エコーで見ると筋肉ががちがちで
注射を打ってもらってちょっと楽になったようですが
背骨にひびが入って治った跡がいくつかあったそうで
身体が細いうえに腹筋、背筋がないらしいです(笑)
・・・娘よ
いつ、何をしてひびが入った?
とりあえず、良質の蛋白質とカルシウムと適度な運動ですかね。
娘が帰省してきてからずっと腰が痛いと言っていて
年が明けてようやく病院に行ってきました。
原因はよくわからないようですが、エコーで見ると筋肉ががちがちで
注射を打ってもらってちょっと楽になったようですが
背骨にひびが入って治った跡がいくつかあったそうで
身体が細いうえに腹筋、背筋がないらしいです(笑)
・・・娘よ
いつ、何をしてひびが入った?
とりあえず、良質の蛋白質とカルシウムと適度な運動ですかね。
今年の紅白歌合戦の目玉は、刀剣男士です。←言い切った
ありがとうNHK。
ありがとうけんらんぶ。
刀剣男士がついに全国区となる瞬間を刮目せよ!って感じですかね。
いろいろなシーンでちょこっと映り込むわちゃわちゃ感が可愛かったですが
もう少し抜いてよと思ったのはわたしだけではないはず。
思い返せば、2016年5月20日。
刀ステのライビュに行ったのが刀剣乱舞との出会いでした。
ライビュ後すぐにゲームをインストールし、まんばちゃんを近侍にぽちぽち。
同時に舞台のチケットをゲットすべく戦争に参戦することとなり現在に至ります。
自分でもまさかこんなにハマるとは思ってもいなかったのですが
元々歴史が好きだし、時代劇が好きだし、歌やダンスが好きだし、イケメンがす・・・もごもご
わたしの好きなものがギュッと詰まった舞台にハマらないわけがなかったわけで(笑)
ゲームで顕現している刀剣男士はコンプリート、「祢々切丸」まであと2万点。
今はひたすら刀剣男士のレベルアップをしています。
そんなわけで、美しい太郎太刀、次郎太刀の「極」を公開。
今年も刀ミュに始まり、真剣乱舞祭で終わるという刀剣乱舞な1年でした。
まっきーの舞台も4作品見れたし、まずまずな成績だったのではないかと思われます。
ただ、来年3月でまっきーはフリーランスになるそうで
今後の活躍にどんな影響があるのか若干不安はあるのですが
まんばちゃんの審神者としてずっと応援していきたいと思っています。
紅白を見ながら年賀状を印刷している相変わらず呑気なわたしですが
今年もいろいろお世話になりました。
来年もここで仕事の愚痴を吐きつつ、布教活動に務めてまいります。
魁のご飯代とチケット代を稼ぐため(笑)頑張って働く1年にしたいと思います。
来年もよろしくお願いします。
昨日亡くなったけいちゃんの同級生のお宅にお悔やみに行ってきました。
彼との出会いは、中学時代。
名前を聞いて「もしかして習字習ってました?」と聞いたのが初対面の会話だった。
小学4年生から書道教室に通い始めたわたしは
教本に優秀作品として掲載される常連の1人に注目していて
どうしたらこんな風な字が書けるのだろうと勝手にライバル視をしていた。
その彼が目の前にいて会話をしていることに興奮したことを覚えている。
結婚式には得意のギター演奏をしていただいた。
年賀状で富士宮やきそば学会会長になったことを知って、それからの活躍や功績は周知の事実だ。
数年前から体調を崩していたことは知っていたけれど
今回の入院もまた元気に戻ってくると思っていたので、訃報を知った時には誰もが絶句した。
早すぎるよ、英彦さん。
そんなに逝き急ぐことはなかったのに・・・
世の中はソフトバンクの通信障害で大混乱していたようですね。
というより、自分の携帯が不調なのかと思って何度か電源落としたりしていたのだけれど
意味がなかったわけで。
ばたばた仕事をしていたので、直接影響はなかったのですが
電子チケットを使う日でなくてよかったと思うわたしは残念なヤツです。
仕事帰りに見舞いに行くと、母は一生懸命ミトンを外そうとしていた。
入院してから点滴を自分で抜いてしまったためにミトンで手を保護されていたのだが
ミトンの上からでも抜いてしまうらしい。
手首からミトンがずれていたので直そうとしたのだけれど
健常者であるわたしでもどうやって外すのか悩むのに、いったいどうやって?(笑)
諭すように説明したのだけれど「はい」「ありがとうございます」と言うだけで
たぶん何も理解できていないのだろう。
そのうちに一人でごにょごにょ何か話し始めたのだけれど、何を話しているのかわからない。
言葉が出てこないことに母も戸惑っているようだ。
病気が原因でさらに痴呆が進む可能性があると言われていたけれど
すでにわたしが娘であることも認識していない。
病院を出て、車に乗ったとたんに涙が出てきた。
母の母親、つまりわたしの祖母は、わたしが幼稚園児のころにはすでに痴呆があって
遊びに行くと「お宅、どちらさん?」と孫のことを覚えていなかった。
父方の祖母も最期のときにわたしのことは認知できなかった。
我が子を忘れてしまう母親って・・・
忘れられてしまうことも辛いけれど、母親なのに忘れてしまうことはもっと悲しい。
誰にでも発症する可能性があることだろうけれど、わたしは最期まで娘を忘れずにいたい。