「以前転勤してもいいって言ってたことは、まだ生きてる?」 と、マネージャーに尋ねられたのが先週のこと。
娘が進学して一人暮らしを始めたことが心配でいっしょに住めるのなら転勤してもいいと何度も伝えていたのだが
当時は「そんな家庭の事情で転勤などさせられない」と、まともに取り合ってもらえずにいた。
ところが、コンペで100箇所ほど営業所が増えることで人員確保のためににわかに転勤話が浮上したようだ。
マネージャーの話では、まずオープン準備のためのスタッフとして本社に召集され
その後はたぶん京浜地区のどこかの営業所就きでATSに任命されるとのこと。
別の支社への転籍となるようだ。
「えー!?一緒に住むと自由がなくなっちゃうじゃん・・・ そろそろ子離れしたら?」とやんわり娘には拒否され
けいちゃんにも「ずっと一人暮らしは肉体的にも精神的にもちょっと・・・」と、2人揃って難色を示したうえに
会社側でも組織図さえまだ決定していないらしく
家族を納得させるだけの具体的な事柄がほとんどない状態でどう返事をしていいのかさらに悩むことになった。
しかし、この先こんなチャンスはたぶんないかもしれない。
これを断ることで後に後悔するかもしれない。
そんなわたしの性格をよくわかっているので、結局けいちゃんがいくつか条件を出すことで、了解してくれた。
わがままをきいてくれてありがとう。
浜松の営業所で会議に出席するため、マネージャーと出かけた。
会議の最後にわたしが異動になることを告げ挨拶をするためだ。
その後、3月に入社する栄養士が入社手続きに来る事になっていて
急遽3月1日、3日に引継ぎをすることが決まった。
つまりわたしは、3月4日には営業推進に転籍となり
いよいよプロジェクトチームに加わるために本社勤務となるのだ。
2007年元日の日記に
わたしは父が29歳のときに産まれ、そしてわたしも29歳で母となった。
父はわたしが大学3年になる年に、技術指導顧問団の団長に任命され
長年勤めていた会社を一旦退職するかたちで、数年間台湾に赴任した。
わたしの会社は、来年会社の存亡をかけた大きなコンペを控えている。
その結果次第ではわたしにも父と同じような転機が訪れるのではないかと思う。
と、書いた。
まさしくその転機が訪れたのだ。
それも父と同じ年齢でというところに、何か因縁めいたものを感じる。
クライアント先の担当者の長は、実はわたしの小学校時代の家庭教師なのだが
彼に転勤の話をすると、驚きながらも
「いわゆるキャリアウーマンとして生きていくんだね。 仕事に対する意識はお父さん譲りなんだな、きっと。」
と、教え子の成長をいっしょに喜んでくれた。
四十にして惑はず 五十にして天命を知る
たとえ遅咲きであっても、このチャンスを生かしていきたいと思う。