トラウマ

独身時代に入部していたボウリング部の部長から

知り合いのお嬢さんを食堂で働けるよう面接をしてくれないかと電話があった。

このお嬢さんは現在違う会社で調理師として働いているのだが

ボウリングの遠征があるため土日の休める会社に転籍したいのだという。

なんでも高校時代に国体にも出場したことのある有望株だそうで

部長はなんとか彼女を自分の会社に入部させたい思惑があるようだ。

 

わたしも実業団時代は、県強化選手に選ばれていた。

最終予選前夜に指を負傷したせいで、選考会途中で棄権するまで国体はほぼ手中にあった。

その後妊娠が発覚し、結局わたしは退部したのだが

実は、生まれてくる子供のために潔くあきらめたわけではない。

国体に出場するという大きな夢が自分の不注意でこぼれおちていったとき

ボウリング部のI先輩に東京での大会に出ないかと誘われた。

この大会は、市のスポーツ祭の大会と開催日が同じで

前年I先輩とダブルスを組み優勝しているため

ディフェンディングチャンピオンとして出場しなくてはならなかったのだが

迷った末に、東京の大会を選んだのだった。

わたしは、国体に出られない悔しさを晴らすかのように攻め、新人戦で優勝することができたのだが

それがスポーツ新聞の記事となり、部員の目にとまることになる。

部として出場するように言われていた大会を蹴って

違う大会に出ていたのだから、みんなが怒るのも無理はない。

I先輩は部内で一番強く、誰もが彼とチームを組みたがっていた。

彼と組めば、必ず入賞できるからだ。

当然、非難がわたしに集中した。

誰もわたしをかばうことはなく、部長も部員の手前があるからと静観したままだったが

ただI先輩だけがお咎めなしというのが、わたしをさらに失望させた。

わたしが退部届けを出したのは、その日のうちであった。

この最後の大会中、すでにわたしは妊娠していてそんな状態でよく優勝し、子供も無事だったものだ。

「お前は、今でも投げてるのか?」

「遊びでたまに行くくらいですねぇ」

「また始めたらどうだ?」

「もうこの歳では昔のようにはいかないでしょう?」

「何言ってるんだ、若い人にはない『経験』というのがものを言うんだぞ」

部長に誘われるたびに、もう一度頑張ってみたいと思うけれど

そのたびにあのときの悔しさと失望感がよみがえり

決断できず、踏み出せないままでいる。

2007年5月14日