供養という商売

人が亡くなったら、市役所にさまざまな書類を出し、葬儀場を決め、菩提寺のお坊さんにお願いをする

ただそれだけの単純なことだと思っていた。

遺体の引取りと同時に会場を頼んだら、まず小ホールしかないと言われ

菩提寺に連絡すると、住職は出張で不在。

深夜に自宅に連れ帰ったものの枕経もあげてもらえず

結局代わりのお坊さんがきたのはすでに7時間以上も過ぎてからだった。

その後、住職と連絡が取れたものの、8~9日はすでに葬儀が入っていて

どうしても10~11日にしてほしいとのこと。

そのくせ、菩提寺に大変な貢献をしていただいたので

読経には僧侶を7人だとか、戒名のうえになにやらつけろとか

話を聞いていると、首を傾げたくなることばかり。

 

父は、生前菩提寺の総代をしていた。

寺を新しく建立するために、檀家からの寄付を募り、仏像を購入するために中国まで同行した。

父のお布施もベンツが軽く買えるくらいの金額だった。

わたしは総代になると何か特別な待遇やご利益があるのかと尋ねたことがある。

父は「ただ名誉だけだよ」と笑って答えた。

住職が父の葬儀を自分で執り行いたいから10~11日にしてほしいと言ってきたことは、まぁよしとしよう。

結果的には大きなホールを借りられたことだし。

だけど、普通に考えたら

「生前お寺のために尽くしてくれた方だから葬儀は盛大に行いますが、お布施は気持ちでいいですよ」

って、割引があっても罰は当たらないと思うのだけれど。

死んでもなお遺族から金をむしり取ろうとしているような気がしてならない。

父のことを考えたら、立派な葬儀を出してあげたいと思うけれど

今後の檀家としての付き合い方が戒名一つで変わってきてしまうのであれば

祖父と同じ居士でいいのではないかと感じてしまう。

「お気持ちだけで」という言葉の裏に潜む言い値に明朗会計を求めるほうがおかしいのだろうか。

2006年11月9日