昨日は、いったいどれだけ荷物を持って歩いたのだろうか?
運送屋さんに預けた荷物以外を3人でエレベーターのない新居まで何度となく運んだ。
おかげで今朝はすでにあちこちが筋肉痛で、特に足が痛い。
引越しといえば、やはり思い出すのは父のこと。
入間市郊外の大学寮にいた頃は
帰省して荷物が多くなると何度か父が車で荷物と一緒に送り迎えをしてくれた。
座間基地付近を通った記憶があることから、たぶん厚木でおりて八王子方向へ進んだのだろう。
当時は、まだファミレスも出始めた頃で
国道沿いのすかいらーくで昼食を食べることが多かったように思う。
父はいつもサーモンムニエルタルタルソースがけをオーダーしていたなと
そんな些細なことまでが懐かしく思い出される。
そして、わたしと荷物を置いて母と2人きりで帰路につく心情を思うと
まったく今のわたしたちと同じような気持ちでいたのだろうなと今更ながら親の思いを痛感する。
「食育」について行政はあれこれ難しい講釈を述べている。
生涯を通じた健全な食生活の実現、食文化の継承、健康の確保は確かに大切かもしれない。
自らの食について考える習慣をつけることも
食に関する様々な知識を得て食を選択する判断力を楽しく身に付けることも必要であろう。
しかし基本はやはり食が生活と結びついていることであるとわたしは考える。
記憶の中には必ず「匂い」が存在する。
それは朝目覚めたときの味噌汁の匂いであったり、帰宅したときのカレーライスの匂いであったり
そして必ずそこにおいしそうな家族の笑顔がある。
環境が違えば必ずしも家族で食卓をかこむことは出来ないのだろうが
やはりみんなで食べたほうが楽しいしおいしく感じる。
娘も大人になり母となったときに
同じようにわたしたちといっしょに食べた味とか匂いとかを思い出すのだろうか?