生まれる時ひとり 最期もまたひとり
だから生きてるあいだだけは
小さなぬくもりや ふとした優しさを
求めずにはいられない
by 竹内まりや
誕生日が来るたびに、去年は何をしていたのかな? と過去の日記を読み返す。
だけど、特別な日であっても
日常生活はさほどサプライズな出来事はなく、毎年淡々と過ぎていくだけだ。
母はかなりの微弱陣痛で、2週間ほど病院で苦しんだ末の出産だった。
医師から万が一のときにはどうするかと聞かれた父は
「すでに上に男の子がいるので、どちらか一人だけだというのなら母親を優先してください」
と答えたのだという。
産まれたわたしの首にはへその緒が何重にも巻かれていて、重度の黄疸。
母が退院してからも、ほとんど泣かず、飲まず、ただ眠っているので
なかなか退院させてもらえなかったそうだ。
これは数年前に書いた日記の抜粋。
「お前は、もしかしたらこの世には存在しなかったかもしれない。
だけど極限まで2人とも助かるようにしてほしいと頼んだから生まれてこれたんだぞ。」
と、誕生日がくるたびに笑いながら恩ぎせがましく話していた父を思い出す。
気づけばもう今年は40代最後の年で
今まで父の期待をどれだけ叶えてあげられたかわからないけれど
せっかく助けてもらった生命なのだから、もっと後悔のない充実した日々を送っていきたいと思う。
そんなふうに40代の締めくくりを有意義なものにしようと誓ったのに
実家に寄ったとき「わたしになにか言う言葉はない?」と聞いたら
母に真顔で「今日って、なに?」と言われたので、それは親としてどうよ?とマジ凹んだ(苦笑)
誇れるのは、近くの身内より遠くの友人ってか?(*^▽^*)
たくさんのお祝いメール、どうもありがとう!