先週、部長から言われていたことがある。
「どうもむこうのほうが献立がいいように思えるんだけどな。 なんだか、おいしそうにみえないんだよ。
たまには出かけていって参考にしてほしいんだけれど・・・」
むこうというのは、近所にある別のクライアント先の食堂のこと。
そこには専任の栄養士がいるので、献立は彼女に任せている。
部長の言い方は、まるでわたしと彼女とを比較してわたしの献立が劣っているような印象をうけたので
実はかなり凹んでいた。
実際昨日衛生教育ついでに見てみると、わたしの立てる献立のほうが品数が多いことは一目瞭然。
売価がちがうのだから当たり前のことだ。
では、何故ここの献立は見劣りするのか?
わたしは、自分のイメージしたとおりの料理ができていないと
目に余るものは、野菜の切り方から味付けにいたるまで必ず注意をし、改善をお願いする。
パートの盛り付け方が悪ければ、やり直しをさせる。
しかしそんなわたしの指摘は、作り手のプライドを傷つけ苦々しく思うらしく
あまり改善されたとは思えないことが多い。
生姜焼きなのに、生焼けと思うような白い色をしていたり
含め煮なのに、煮しめたような真っ黒な塩辛い煮物だったり
蒸してほしいのに、揚げてあったり
味が固定しておらず作るたびに違う味だったりする。
栄養士の立てるメニューを生かすも殺すも、調理師しだいというわけだ。
つまり、見劣りするのは作り手の差・・・?
幸い、定例会議でも最近は食事に関してのクレームも減少している。
こういう現状だからこそ、今ある問題点は改善するべきだと思うのだが
「そんなことは時間的に無理。」
「何回説明してもできないから、あきらめた。」
「それを、ここのパートができると思う?」
「もともと開発が無理な契約をしたから悪い。」
などと、わたしの提案をことごとく退ける。
配食時にパートさんの動きを見ていて、確かに器量不足を感じる人もいる。
だけどそこをうまくカバーしていくように考えなくてはいつまでたっても改善はされない。
とりあえずやってみよう!って何故ポジティブに考えないのだろうか?
そのくせ、事務所に入ってきてはあれこれ話しかけてくるので
仕事に集中したいときには、正直うざい。
わたしは自分がわがままであることも、大人げないことも、十分に承知している。
無理なことを言っていると自覚もしている。
だけど、あえて吼えてみる。
一度でいいから、素直に人の話を聞こうという姿勢はないのか!
あん?