Travel book

暑いのが嫌い、歩くことが嫌い、待つことが嫌い
団体行動は苦手だけれど計画立ててくれたら行ってあげてもいいよ?
そんなわがままなわたしが旅行に出かけてえらいでしょ?という旅行記です

旅行嫌いなのに旅行記

鳥羽伏見の戦いを追って 2019年3月29日:妙教寺

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淀城の本丸があったとされる妙教寺には、砲弾が撃ち込まれた跡が今も保存されています。

砲弾は、本堂の壁を貫き柱を貫通して反対側で止まったそうで

位牌の並ぶ中、壁にぽっかり穴が開いていました。

不発弾だったそうですが実際に手に取るとずっしり重く、歴史の重みもまた感じさせられました。

境内には榎本武揚の揮毫による「戊辰役東軍戦死者之碑」もあり

今は閑静な住宅地となっているこの一帯が、戦禍に包まれていたことを想像すると

いかなる理由であったとしても、戦争を肯定することができない気持ちになってきます。

そういえば「先の戦争」と言えば、普通の人は第二次世界大戦を思い浮かべますが

京都人は応仁の乱を指し、会津人は戊辰戦争を指すのだそうです。

鳥羽伏見の戦いを追って 2019年3月29日:淀小橋から欣浄寺跡

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新選組を無事撤退させるために殿を務めた源さんの遺体は

甥によって戦場近くのお寺に首と刀が埋葬されます。

このお寺の名前が「欣浄寺」と言い、今ではお蕎麦屋さんの駐車場となっています。

井上さんはお祖母さんから「欣浄寺に埋めた」と聞かされていて

生家の近くにも同じ名前の欣浄寺があるため記憶が曖昧になっているのだろうと思っていたのだそうです。

140年ぶりに埋葬地が判明し、土を持ち帰って供養したそうです。

激戦のさなか、12歳の少年が伯父さんの首と刀を持ってこの道を歩いたのかと思うと

胸が痛くなるほど切ない気持ちになりました。

鳥羽伏見の戦いを追って 2019年3月29日:千両松埋骨地

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千両松埋骨地に向かうバスの中で、参加者からの質問コーナーがありました。

「今年の2月に徳川慶喜公直筆の「誠」の書が発見されたと報道がありました。
慶喜公の静岡での隠居生活の話を聞くと文化人であったことが偲ばれるのですが
それでも佐幕派のわたしとしては新選組を見捨てた人というイメージが強く
言葉は悪いですが、どの面下げて「誠」を書いたのか?と怒りすら覚えてしまいます。
木村先生はこの書についてどのような背景があったとお考えでしょうか?」

ゲストの3人が答えてくれるというので事前にメールを送っていたのですが

第1問めがわたしの質問でした(笑)

そもそも慶喜公は「誠」という字が好きだったそうです。

誠には、義を尽くすという意味があって、慶喜さんが義を尽くすのは天皇。

上司が部下に義を尽くす必要はないそうです。

慶喜公のお父さんは徳川で、お母さんは有栖川という皇室だから

両家の関係が悪くならないよう、穏便に政権を返したということらしいです。

でも、政治にはあまり関心がなくて他人事だったようで

そういうところが新選組クラスタからするとぐぬぬとなるわけで。

てっきり明治になって反省の意を込めて描いたのでは?と思ったのに、慶喜公はやっぱり慶喜公でした。

そして、源さん率いる新選組六番隊が全滅した淀の千両松へ。

本当に道路のわきにひっそりと戦没者の墓碑が立っています。

近くの競馬場の拡張工事が行われた際に慰霊碑が削られた後、事故が続出するようになり

さらに誠の旗を持った新選組隊士の幽霊が、「もとの所に返せ!」と毎晩現れるようになったため

慰霊碑を管理する妙教寺に依頼し盛大に供養を行うとともに

工事終了後もとあった場所に慰霊碑を復元整備したところ幽霊は出てこなくなったそうです。

鳥羽伏見の戦いを追って 2019年3月29日:伏見奉行所

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魚三楼を出て、少し歩くと団地の入り口に碑が立っています。

慶応3年12月9日に王政復古の大号令が下されると

会津藩の命を受けた新選組は、伏見方面の治安維持の名目で伏見奉行所へ駐屯することとなり

16日には近藤勇を隊長に総勢150名が伏見奉行所に入りました。

ところがその2日後に近藤勇は伏見奉行所へ帰る途中に伏見街道の墨染で狙撃されてしまいます。

その後新政府軍の砲弾で伏見奉行所が炎上し、旧幕府軍は敗走することとなります。

御香宮神社と伏見奉行所は本当に目と鼻の先で

こんな至近距離で砲弾を浴びたらひとたまりもなかったのだろうと思うと

刀の時代が終わることを土方さんも実感していたのではないかと感じずにはいられませんでした。

鳥羽伏見の戦いを追って 2019年3月29日:魚三楼

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1764年創業の「魚三楼」は鳥羽伏見の戦い当時は官軍の台所番を勤めていたそうで

表の格子には当時の銃撃戦の弾痕が保存されています。

ミシュラン星2つという高級料亭なので

なかなか予約が取れないだろうから、楽しみにしていた花籠御膳です。

なんと!土方さんの隣に座ってのお食事です。

ほとんど、どんな話をしたのか記憶にないのですが・・・

それでもやっぱり話題は新選組への入り口となり「燃えよ剣」のファンが多く

同時に審神者がいっぱいで(笑)舞台の話になりました。

「駆けはやぶさひと大和」で土方さんが鉄之助に刀を渡す冒頭シーンで泣いた話をしたところ

史実とはちょっと違うんだけどねと愛さんがつぶやいたのですが

え?史実は?と聞こうとしたら、既に別の話題になっていて聞きそびれてしまったのが残念です。

鳥羽伏見の戦いを追って 2019年3月29日:御香宮神社

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伝承によると境内より良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治ったので

時の清和天皇から「御香宮」の名を賜ったという御香宮神社は

鳥羽伏見の戦いで官軍の本陣となった神社です。

新政府軍も旧幕府軍も最新式の軍備をしていたにもかかわらず勝敗を分けたのは

旧幕府軍にこれらを上手く使いこなす指揮官がいなかったことと

旧幕府軍の陣営が御香宮神社より低い位置にあったため

砲弾の狙いを定めるのに有利だったからと言われています。

負傷した近藤さんの代わりに指揮をしていた土方さんはどんな気持ちだったのでしょうか。

鳥羽伏見の戦いを追って 2019年3月29日:金戒光明寺

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会津藩主松平容保が京都守護職に就任した際本陣となった「くろだにさん」

守護職お預かりとして壬生浪士組を京都治安の維持に当たらせた、いわば新選組発祥の地です。

昨年訪れた時には御影堂、大方丈、庭園、山門が特別公開されていて

容保公と新選組が謁見した間の隣の部屋の虎の襖絵を見たのですが

今回は、御前試合をした中庭を見ることができました。

兼さん、堀川くんも幸せそうです。

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それから石段をあがり会津藩の墓前に手を合わせ、西雲院で貴重な掛け軸を見せていただきました。

「八重の桜」で有名な新島八重さんと、容保公の書です。

特別に撮影も許可されて、SNSへのアップもOKという寛大な住職の言葉に感謝したものの

その後、土方さんと井上さん以外はどこにもアップされていないという結果に(知らないだけかもですが)

新選組クラスタの品格を感じずにはいられませんでした。

鳥羽伏見の戦いを追って 2019年3月29日:京都集合

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戊辰戦争終結150年を記念して参加したバスツアーですが

集合場所に行くと、若い女性2人がツアーの旗を持っていたので

あぁ、やっぱり刀剣乱舞やら薄桜鬼やらの若い子たちのツアーなんだなぁと思ったら

想像以上に年齢が高い人が多くて、ちょっと安心しました。

というより、土方さんイェーイ!というノリで参加したわたしよりガチな人の集まりで

まさか、新選組の入り口が銀魂のトッシーだなんて言えやしないよ・・・

そんな不安をよそに、土方愛さん、井上雅雄さん、木村先生と共にバスは進みます。

三島 2019年2月9日:Via701

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最後のスタンプは、誉ぽんっ!

無事にスタンプラリーの景品のクリアファイルをゲット。

今年は駅前に車を停めて、電車と徒歩だったにもかかわらず

みんなでワイワイと楽しくスムーズに廻ることができました。

何度も言っていることだけど

コラボすることで経済効果があると証明されているのだから

もっと静岡県全体で盛り上げるようなイベントを組んだらいいのに。

静岡所縁の刀剣もいっぱいあるのになぁ・・・

三島 2019年2月9日:勝手にスタンプラリー

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昨年も寄った化粧品店で、宗三さんと光忠のメモ帳を購入。

光忠のメモ帳は早々に売り切れてしまって再入荷したそうですが

「人気をなめていました」とコメントが入っていて、微笑ましく感じられました。

今年はコラボグッズとして卓上フラッグを作成した際かなり苦労されたそうです。

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えほんやさんでスタンプをいただき、懐かしい絵本を発見しました。

つい、購入・・・

わたしの原点は、「ちいさいおうち」と「ちびくろさんぼ」です。

思いがけない出会いとなりました。