待つことが嫌い、協調性がなく団体行動が苦手、計画を立てるのもめんどくさい
そんなわたしが2.5次元舞台にハマってから変わりました
物販に辛抱よく並び、知らない人に声をかけ、聖地巡礼ツアーに出かけ、京都旅行には自らルートを考え・・・
ヲタな旅行の覚書です
Travel book
旅行嫌いなのに旅行記
日野散策 2022年4月29日:②土方歳三資料館
本日のメインイベント、4年ぶりの石田散薬製造体験です。
今回は刀剣乱舞ONLINEとコラボをしていて兼さんのパネルが置かれていたので
もちもねんどろも堂々と撮影ができました。
座って薬研を引く前回と違って、今回は立ったままの作業だったのでなかなかうまくいかず時間がかかりましたが
スタッフさんがいっぱい写真や動画まで撮ってくださって感謝です。
資料館の受付には以前わたしがプレゼントしたもちも飾られていて、ねんどろちゃんも一緒に記念写真です。
和泉守兼定の刀身はあいかわらず美しく、じっくり見ることができました。
また今回は島田魁さんの佩刀も展示してあり、兼定と比べると無骨なずっしりした感じ。
コロナ禍での公開なので人数制限をしているせいで、ゆっくり堪能することができました。
お土産は、自分で作った石田散薬とその原料となる牛革草。
そして和泉守兼定スタンプ(拵え・鐔)と高幡まんじゅう。
今年10月末で一旦閉館する予定となっているので、また行けるといいなぁ・・・
日野散策 2022年4月29日:①高幡不動尊と石田寺
本日は、土方歳三資料館での石田散薬製造体験に参加して、帰りにアパートによって2人を迎えに行くという予定。
予約時間が13時なので、それまでに高幡不動尊と石田寺にお参りに行けるかな?と考えていました。
時間に余裕をもって、出社するより早く自宅を出たのですが・・・
まず圏央道で自己渋滞にはまり、高幡不動に行く途中交通違反で捕まり・・・と散々な出だし。
てか、ナビで左折と出ていたので曲がろうとしたんだけど、あれ?ここじゃないじゃん?と直進したら
お巡りさんが手招きしていて、左折専用を直進したので1点減点だそうですよ。
この歳でゴールドカード剥奪されたら、もう次回にゴールドになる前に免許証返納では?(笑)
田舎もんなんだから許してくれよー!左折専用だなんて、気づかなかったんだよーーーーー!!
というわけで、事故ではなく済んだことをお参りでお礼をしてきました。
それから石田寺に向かいます。
駐車場に車を入れたらぽつぽつ雨が降ってきて、高幡不動尊で写真が撮れてよかったと思ったのですが
やっぱりわたしは、雨女か?(笑)
富士山1周 2021年1月9日:④湖畔からの富士
甲州をあとに、河口湖、山中湖からの富士を臨みます。
外気温はー9℃という極寒です。
タバコ休憩のためにコンビニに寄るたびに、寒さでトイレ休憩になる状態でした。
河口湖はギリ写真が撮れたのですが、山中湖は真っ暗で(笑)湖畔まで歩くこともままならず
わたしの携帯では撮影はムリだったので、全て鈴夏ちゃんにお任せ。
空気が澄んでキリっとしているので、空を見上げると満天の星空で美しかったです。
この調子ではもう忍野八海は無理だよね・・・と寄ってはみたものの、さらに真っ暗で富士山が写らない(笑)
渋々帰路につきました。
夕食は、御殿場の「魚啓」
隣の席の人が食べていた海鮮丼は20種の具がてんこ盛りだったので、お任せ丼をチョイス。
これで1000円ってコスパが良すぎる!
海老マヨもぷりぷりで美味しくて、もう満腹状態でした。
お土産は桔梗信玄餅工場テーマパークで購入した信玄餅とおせんべい。
ふらっと2人で出かけようと無計画に出てきたので
朝から出かけていたらきっと忍野八海の写真も撮れたかもだけど、楽しい珍道中でした。
ずっと運転してくれた鈴夏ちゃん、本当にお疲れさまでした。
旅行記を書いていて気づいたのですが、昨年は旅行と言えるほどのイベントはほとんどなくて
今年はコロナが収束してほしいと願わずにはいられません。
富士山1周 2021年1月9日:③柏尾古戦場跡
大善寺は、甲府に入れなかった甲陽鎮撫隊が本陣にしようとしたのですが
「徳川家康の時代から伝わる寺宝を戦火に巻き込まないで欲しい」と寺から頑なに拒否されたために諦めたそうです。
到着した時にはもう閉館していて御朱印はいただけなかったのですが、石段をあがって薬師堂を見てきました。
「理慶尼記」は「武田滅亡記」ともいわれ、尼の住んでいたこの大善寺に保管されているそうです。
勝頼の家臣たちは、勝頼を最後まで裏切ることなく守り戦死しましたが
その子供たちは後に徳川家康に重用され、江戸時代には各地の城主に任命されました。
勝頼の「宿」となった薬師堂にはその子供たちから寄進された文殊菩薩、毘沙門天が安置されています。
大善寺を少し進んだ交差点にひっそりと近藤さんの像が立っています。
柏尾古戦場跡です。
甲府城と大善寺との距離は車でも3~40分かかるのに、いったいどのように布陣して戦ったのか?
甲州勝沼の戦いを調べるにつけ
鉄の掟で統率されていた新選組が徐々に衰退していく様が何とももの悲しく
これから永倉新八、原田左之助が離隊し、流山、宇都宮、会津、函館と続いていくわけで
長い歴史の中でたった7年だけど、その生きざまは儚くも美しいものだったと思いたいです。
富士山1周 2021年1月9日:②武田神社
言わずと知れた武田信玄公を祀る武田神社。
甲府城ではまばらだった人が、おやおや、けっこう人が出ているねと思ったのですが
参道にソーシャルディスタンス用に立ち位置が4列で示してあるものの
実際は2列で並んでいて、さほど待たずに参拝することができました。
招き猫のおみくじを引いたのですが、入っていたのは黒い猫で家内安全と厄難消除に御利益があるそうです。
おみくじは「吉」だったけれど、あまり吉な内容ではなくて
武田大神様のご利益は「勝ち運」だそうで、勝負事に限らず「人生そのものに勝つ」「自分自身に勝つ」
きっと浮かれずに慎重に進めというお屋形様の進言なのだと思うことにしました。
武田神社に来るのは、家族旅行で寄った実にウン十年ぶりでして
奇しくも明日は父の誕生日で、楽しそうに大学時代の話をしてくれたことが懐かしく思い出されました。
甲陽鎮撫隊と名を改めた新選組が江戸を発ったものの、沖田さんは日野まで来るのが限界でした。
甲府にたどり着けなかった沖田さん、池田屋で折れた加州清光を偲び
壬生寺で購入した清光の新しい御朱印帳を持ってきたので、少しは供養ができたのではないでしょうか。
富士山1周 2021年1月9日:①甲府城
緊急事態宣言が出される中、こっそり出かけた「富士山1周のドライブ」の目的地は甲府。
まずは富士山を眺めながらあさぎりフードパークでランチ。
けーちゃんの実家に代々伝わる「地方古文書」には
足軽大将であった遠山辰右衛門が、武田勝頼公の和睦状を持参し
敵方の織田信長に面接し書状を渡す目的で密行したが
ときすでに遅く武田軍は織田・徳川の連合軍に破れ、天正10年6月、勝頼は天目山で自刃。
遠山辰右衛門はやむなくこの町にとどまり再び主に仕えることはなかった、とある。
そしてこの遠山辰右衛門の名前が実家の一番古い墓石に刻まれていることから我が家のルーツとされている。
わたしの父は山梨大学在学中に武田神社の裏に下宿していて、なにかと甲府には縁がある。
しかも、甲府と言えば・・・甲州勝沼の戦い。
土方さんが1日遅れで入れなかった甲府城(舞鶴城)が最初の目的地です。
土方さんの代わりに、兼さんと国広が城に入ったぞーーーーー!
天守台から見える富士山は、頭がちょこっと出ているだけでした。
平山城であるにもかかわらず、石段の一つ一つが高くてぜぇぜぇ・・・と息切れ。
昔の人は偉かったね・・・
駅から近くても通勤が苦行となるような職場では、たぶんわたしは3日と持たないかと思われます。