待つことが嫌い、協調性がなく団体行動が苦手、計画を立てるのもめんどくさい
そんなわたしが2.5次元舞台にハマってから変わりました
物販に辛抱よく並び、知らない人に声をかけ、聖地巡礼ツアーに出かけ、京都旅行には自らルートを考え・・・
ヲタな旅行の覚書です
Travel book
旅行嫌いなのに旅行記
鳥羽伏見の戦いを追って 2019年3月29日:千両松埋骨地
千両松埋骨地に向かうバスの中で、参加者からの質問コーナーがありました。
「今年の2月に徳川慶喜公直筆の「誠」の書が発見されたと報道がありました。
慶喜公の静岡での隠居生活の話を聞くと文化人であったことが偲ばれるのですが
それでも佐幕派のわたしとしては新選組を見捨てた人というイメージが強く
言葉は悪いですが、どの面下げて「誠」を書いたのか?と怒りすら覚えてしまいます。
木村先生はこの書についてどのような背景があったとお考えでしょうか?」
ゲストの3人が答えてくれるというので事前にメールを送っていたのですが
第1問めがわたしの質問でした(笑)
そもそも慶喜公は「誠」という字が好きだったそうです。
誠には、義を尽くすという意味があって、慶喜さんが義を尽くすのは天皇。
上司が部下に義を尽くす必要はないそうです。
慶喜公のお父さんは徳川で、お母さんは有栖川という皇室だから
両家の関係が悪くならないよう、穏便に政権を返したということらしいです。
でも、政治にはあまり関心がなくて他人事だったようで
そういうところが新選組クラスタからするとぐぬぬとなるわけで。
てっきり明治になって反省の意を込めて描いたのでは?と思ったのに、慶喜公はやっぱり慶喜公でした。
そして、源さん率いる新選組六番隊が全滅した淀の千両松へ。
本当に道路のわきにひっそりと戦没者の墓碑が立っています。
近くの競馬場の拡張工事が行われた際に慰霊碑が削られた後、事故が続出するようになり
さらに誠の旗を持った新選組隊士の幽霊が、「もとの所に返せ!」と毎晩現れるようになったため
慰霊碑を管理する妙教寺に依頼し盛大に供養を行うとともに
工事終了後もとあった場所に慰霊碑を復元整備したところ幽霊は出てこなくなったそうです。
鳥羽伏見の戦いを追って 2019年3月29日:伏見奉行所
魚三楼を出て、少し歩くと団地の入り口に碑が立っています。
慶応3年12月9日に王政復古の大号令が下されると
会津藩の命を受けた新選組は、伏見方面の治安維持の名目で伏見奉行所へ駐屯することとなり
16日には近藤勇を隊長に総勢150名が伏見奉行所に入りました。
ところがその2日後に近藤勇は伏見奉行所へ帰る途中に伏見街道の墨染で狙撃されてしまいます。
その後新政府軍の砲弾で伏見奉行所が炎上し、旧幕府軍は敗走することとなります。
御香宮神社と伏見奉行所は本当に目と鼻の先で
こんな至近距離で砲弾を浴びたらひとたまりもなかったのだろうと思うと
刀の時代が終わることを土方さんも実感していたのではないかと感じずにはいられませんでした。
鳥羽伏見の戦いを追って 2019年3月29日:魚三楼
1764年創業の「魚三楼」は鳥羽伏見の戦い当時は官軍の台所番を勤めていたそうで
表の格子には当時の銃撃戦の弾痕が保存されています。
ミシュラン星2つという高級料亭なので
なかなか予約が取れないだろうから、楽しみにしていた花籠御膳です。
なんと!土方さんの隣に座ってのお食事です。
ほとんど、どんな話をしたのか記憶にないのですが・・・
それでもやっぱり話題は新選組への入り口となり「燃えよ剣」のファンが多く
同時に審神者がいっぱいで(笑)舞台の話になりました。
「駆けはやぶさひと大和」で土方さんが鉄之助に刀を渡す冒頭シーンで泣いた話をしたところ
史実とはちょっと違うんだけどねと愛さんがつぶやいたのですが
え?史実は?と聞こうとしたら、既に別の話題になっていて聞きそびれてしまったのが残念です。
鳥羽伏見の戦いを追って 2019年3月29日:御香宮神社
鳥羽伏見の戦いを追って 2019年3月29日:金戒光明寺
会津藩主松平容保が京都守護職に就任した際本陣となった「くろだにさん」
守護職お預かりとして壬生浪士組を京都治安の維持に当たらせた、いわば新選組発祥の地です。
昨年訪れた時には御影堂、大方丈、庭園、山門が特別公開されていて
容保公と新選組が謁見した間の隣の部屋の虎の襖絵を見たのですが
今回は、御前試合をした中庭を見ることができました。
兼さん、堀川くんも幸せそうです。
それから石段をあがり会津藩の墓前に手を合わせ、西雲院で貴重な掛け軸を見せていただきました。
「八重の桜」で有名な新島八重さんと、容保公の書です。
特別に撮影も許可されて、SNSへのアップもOKという寛大な住職の言葉に感謝したものの
その後、土方さんと井上さん以外はどこにもアップされていないという結果に(知らないだけかもですが)
新選組クラスタの品格を感じずにはいられませんでした。