ヴィンテージ

毎回浜松に出かけると、夕食に誘ってくれるパートさんがいる。

行きつけのおいしい店をあちこち案内してくれる。

彼女はあまり食べずに

「大将!このお銚子、ひびが入ってるみたいよ? 漏れるらしくて、すぐ酒がなくなっちゃうもん」

と、ひたすら飲む。

わたしも酒は弱いほうではないけれどさすがに彼女のペースにはついていけない。

今回の店はいろいろな銘柄の珍しい梅酒があったので、とりあえずかたっぱしからオーダーしてみた。

梅酒は、その名の通り青梅をアルコールで漬け込んだものだが

このベースになるアルコールの種類で、ずいぶんと味が変わる。

日本酒・米焼酎・麦焼酎・泡盛・ブランデーなどいろいろだが

やっぱり、ホワイトリカーベースの自分で作った梅酒が 一番おいしいと実感。

 

現在、戸棚の中には梅酒の瓶が3本ある。

これらはまだ5年ほどしか経っていないものだが、実はキッチンの上棚にこっそりとしまってあるのが

結婚した翌年に自分で初めて漬け込んだヴィンテージもの。

この日飲んだ「黒糖梅酒」よりももっと色が濃くて、芳醇な香りがする代物。

これだけしか残っていないので、もったいなくて飲めないんだな。

2007年3月9日

引越し

昨日は、いったいどれだけ荷物を持って歩いたのだろうか?

運送屋さんに預けた荷物以外を3人でエレベーターのない新居まで何度となく運んだ。

おかげで今朝はすでにあちこちが筋肉痛で、特に足が痛い。

引越しといえば、やはり思い出すのは父のこと。

入間市郊外の大学寮にいた頃は

帰省して荷物が多くなると何度か父が車で荷物と一緒に送り迎えをしてくれた。

座間基地付近を通った記憶があることから、たぶん厚木でおりて八王子方向へ進んだのだろう。

当時は、まだファミレスも出始めた頃で

国道沿いのすかいらーくで昼食を食べることが多かったように思う。

父はいつもサーモンムニエルタルタルソースがけをオーダーしていたなと

そんな些細なことまでが懐かしく思い出される。

そして、わたしと荷物を置いて母と2人きりで帰路につく心情を思うと

まったく今のわたしたちと同じような気持ちでいたのだろうなと今更ながら親の思いを痛感する。

 

「食育」について行政はあれこれ難しい講釈を述べている。

生涯を通じた健全な食生活の実現、食文化の継承、健康の確保は確かに大切かもしれない。

自らの食について考える習慣をつけることも

食に関する様々な知識を得て食を選択する判断力を楽しく身に付けることも必要であろう。

しかし基本はやはり食が生活と結びついていることであるとわたしは考える。

記憶の中には必ず「匂い」が存在する。

それは朝目覚めたときの味噌汁の匂いであったり、帰宅したときのカレーライスの匂いであったり

そして必ずそこにおいしそうな家族の笑顔がある。

環境が違えば必ずしも家族で食卓をかこむことは出来ないのだろうが

やはりみんなで食べたほうが楽しいしおいしく感じる。

娘も大人になり母となったときに

同じようにわたしたちといっしょに食べた味とか匂いとかを思い出すのだろうか?

2007年2月25日

エニアグラム

「自分がされていやなことは、人にしてはいけない」 「自分だったらこうされたらうれしい」

そんなふうに考えて行動することが誰にでもある。

自己のフィルター(価値観)を通してものを見ている。

しかし、良かれと思ったことが逆効果だったり、自分は気にすることが相手は気にしていなかったり

人の数だけフィルターがあることに気づかされる。

 

今日の研修のなかで「エニアグラム」という自己診断テストが行なわれた。

自分の「こだわり」「恐れ」を把握することで、何を改善し、何を伸ばしていくべきなのかを知り

他人を理解することで他人とうまくつきあえるようになるためのものだ。

ネット検索するとさまざまな無料診断があるのだが、今回のエニアグラムは

1~9までのタイプにそれぞれ20の質問がありYESの数が一番多いのが自分のタイプだというもの。

それぞれ上位3位(3位は同点)までをみると

1位 16点 仕事は完璧を目指す完全主義者

2位 12点 勝ち組目指す成功追求者

3位 11点 目指すはオンリーワン自己探求者

3位 11点 仕事はパワーゲーム支配者

おおまかにいうと、わたしは

感情優先、本能優先で、ことをフィーリングでとらえ理論より先に行動に移すタイプ。

そしてわたしが一番苦手とするタイプの人は

頭でシュミレーションしてから行動に移す思考優先タイプの安全主義者と享楽主義者だった。

 

テスト前の自己予想どおりの結果。

管理者としてはパワフルでいいのかもしれない。

こういう上司だったらおもしろいとも思う。

だけど。

現実的に考えると、わたしの性格って女としてどうなの? と、結果を読みながら苦笑いだった。

2007年2月3日

ひとりごと

機械の性能がどんなによくても

生産されたモノの品質保持や保管場所に経費がかかりすぎれば

生産量を減らすように経営者は指示をするわけで

流通が滞るのは当たり前のことだと思う。

というわたしは

1つしか生産しなかったうえに、すでに機械本体がスクラップなので

この問題にどうのこうのと言える立場ではないのだろうけれど。

いいじゃん、少数精鋭でさ。

女性が安心して出産・育児ができるような環境整備をすることが先決。

失言を責めるだけの国会では、「美しい国」などできるはずがない。

とはいうものの、これで彼は辞任に追い込まれるのだろうな。

 

昨年旧姓のままだった管理栄養士免許証の氏名変更手続きをして

先週ようやく届いたのだけど

「厚生労働大臣 柳沢伯夫」って書いてあるんだよね・・・(苦笑)

ある意味貴重な免許証になるかもね。

2007年1月31日

策略

ドラッグストアをうろつくのが好きだったりする。

何気なく目に入ったパンフレットを手に取る。

 

「女性のカラダは7年刻みで変化していく」

14歳・・・初潮を迎え、生殖能力が完備される。

21歳・・・女性らしい体になり、親知らずも生える。

28歳・・・筋骨・髪が豊かになり、女性として充実。

35歳・・・髪が抜けるなど、徐々に衰えがはじまる。

42歳・・・充分な栄養摂取が困難になり、シワがふえる。

49歳・・・月経活動が終わり、生殖能力も低下する。

 

中国最古の医学書「黄帝内経」には 「女性は7年を基数に成長・老化する」と記述されている。

この周期は現代の日本人女性の平均閉経年齢50.5歳ともほぼ一致し

この時期に起こるさまざまな症状を「更年期障害」と呼ばれている。

わたしはすでに子宮筋腫の手術をしていて、更年期障害とは無縁だ。

それでも、少しでも老化を防ぎたいと思う気持ちがないわけではない。

こんなふうにして、購買意欲を刺激するのだな、うん。←まんまと策略にハマったヤツ

2007年1月23日

アンチかナチュラルか

「アンチエイジング」ということばがある。

身体の中(内臓・血液・細胞・精神など)を健康にすることで内面からの本当の美しさを取り戻し

さらに維持し続ける為に「生活の質」を高めることで楽しく健康に生きることが本来の意味らしい。

いつまでも若く健康でありたいと、人は誰もがそう願う。

最近、納豆がいいという情報番組の効果なのかスーパーから納豆が消えた。

身体にいい、ダイエット効果がある、美肌効果がある・・・

などなど、「いい」というものはとりあえずやってみたくなるらしい。

というわたしも、ビタミンCとEは欠かせないサプリ愛用者。

この頃会社で「ヘルシーメニュー」を提供しているので

栄養バランスが満たされているものを作るために苦労している。

意識して含有量の多い食材を選ばないとビタミンB1とビタミンCが所要量を満たさないことが多い。

うまくサプリメントを利用するのがいいのかなと思ったりもする。

また、加齢が進むにつれシワ・シミ・たるみも気になってくる。

顔は化粧でごまかすこともできるけれど、手だけは隠しようがない。

ハンドクリーム1つとってしても、コエンザイムQ10だとかコラーゲンだとか

配合されているものについつられてしまう自分が悲しかったりする(苦笑)

 

今週は、メニュー会議があるのはわかっていた。

気づかれなかったらそのままばっくれてしまおうと思っていたのだが

やはり仕事は、そうは甘くないらしい。

今回のメインは、なんといっても南清貴氏プロデュースのイベントメニューの試食だった。

わたしは、トマトをのぞいて、ほとんど好き嫌いがない。

結果的に「口に合わない」ものはあるものの、初めての食材でもとりあえず口にする。

一生のうちで食べられる回数が決まっているのであれば

食べたいものを欲望のままにかぶりつきたいとも思う。

ふだんからバランスよく摂ることは考えていても「食に対するこだわり」というものがあまりない。

これは、栄養士としては致命的な欠陥なのかもしれない。

南氏の「ナチュラルエイジング」のコンセプトは

そんなわたしの「見ないように蓋をしていた部分」を刺激する。

賢明な食生活と適度な運動で、自分らしく生きることができたらこの先の人生も、もっと楽しくなることだろう。

必死に抵抗するか、それともありのままを受け入れるか、さて、どうしよう?

2007年1月20日

お屋形さま

今年のNHK大河ドラマは「風林火山」だ。

けいちゃんの実家に代々伝わる「地方古文書」には

足軽大将であった遠山辰右衛門が、武田勝頼公の和睦状を持参し

敵方の織田信長に面接し書状を渡す目的で密行したが

ときすでに遅く武田軍は織田・徳川の連合軍に破れ、天正10年6月、勝頼は天目山で自刃。

遠山辰右衛門はやむなくこの町にとどまり再び主に仕えることはなかった、とある。

そしてこの遠山辰右衛門の名前が実家の一番古い墓石に刻まれていることから

我が家のルーツとされている。

武田勝頼とは、武田信玄と側室の由布姫とのあいだに産まれた第四子で、武田家最後の当主となる。

ドラマの主人公である山本勘助は信玄と由布姫の婚姻を強く勧めたそうで

ご先祖様と山本勘助もひょっとしたら面識があったかも?と思うと、また別の楽しみ方が出来そうだ。

 

わたしの父は、大学時代を甲府で暮らしたせいか武田信玄が好きで

酔うと決まって歌ったのが「武田節」であった。

生きていたらこのドラマを見ながら講釈をたれていたのだろうと考えると

もう少し長生きして欲しかったとも思う。

2007年1月15日

強い女

これから、夜勤者を対象とした「衛生教育」に行ってきます。

続きはのちほど。

というわけで、先ほど帰宅しました。

お風呂から出てきたら、すでに4時半。

ひょっとしたら朝食の準備にそろそろ起きだす主婦もいる時間か?(汗)

「ハケンの品格」という新ドラマを見ましたか?

我が社も世の流れに従い、正社員を減らし深夜勤務や休日勤務は、パートと派遣が中心になっています。

当然、彼らは昼間は別の仕事を持っていて

年に2回全従業員を集めてわたしが行なう衛生講習会には参加してきません。

12月はノロウィルス食中毒の発症率が過去最高だということで急きょ講習会を行なったのですが

夜勤者の出席率が悪く、結局わたしが夜勤者に合わせて夜の出勤となったわけです。

男女雇用機会均等法によって女性の待遇が改善されることは喜ばしいことだけれど

「女なのに」「主婦なのに」という言い訳も言いにくい世の中になってしまったということでしょうか。

常々、仕事に対して同等に扱って欲しいと思っているだけに

都合が悪くなっても「女」であることを武器にできず

ますます「強い女」になっていくような気がします。

2007年1月11日

エール

ここ数日の異常気象は、わたしの身体をも蝕んでいる。

わたしがいる事務所は築何十年も経っていて

エアコンはあるものの、いまどきこんなものを? というくらい古いスチーム暖房が活躍している。

どうやら工場内の気温と連動させ、一定の気温まで下がるとスチームが入るように設定されているらしい。

ところが古さゆえにコックが動かず、温度調節が利かない。

狭い事務所内は、頭がクラクラするほど暑くなり

ドライアイのわたしの目は、ますます乾燥し痛みを感じるようになるのだ。

目薬をさしても、なかなか充血がひかない。

充血がひかないのには、もう一つ理由がある。

それは、課題を終わらせるために深夜まで作業をしていた娘につきあって毎晩夜更かしをしていたこと。

何十枚と書いた原稿をPCに取り込み彩色し動かしても、ほんの数秒たった数コマの動きにしかならないのだ。

娘が思い描いていた作品に仕上げるためにはいったい何百枚、何千枚が必要になるのだろうか?

適当に手を抜けるところは抜いて提出期限までに間に合うような作品に変更すればいいのにと思うのだが

娘は妥協したくないらしく、黙々と作業を続けていた。

それに加え今日から授業が始まるのにいきなりテストで

その勉強もしなくてはならず、明け方までノートを作っていた。

今の娘を見ていると、本来「勉強」とは楽しむものであり、没頭するものなのだと痛感する。

自分がやりたいことが分かっていて、将来なりたいものが見えていて

その目標に向かって、迷わずまっすぐ進むことができることがどんなに幸運なことか。

体力がなく、あまり身体が丈夫なほうではないので

こうして寝不足が続いていると、体調を崩すのではないかと心配になるが

「絶対間に合う!」「まだ時間はある!」と最後まであきらめない姿勢に心からエールを送ろう。

 

というわたしも

こんな寝不足状態なのに、明日は夜勤者対象に深夜の衛生教育実施が待ち受けている。

2007年1月9日

おめでとう

早朝の電話で目が覚め、しばらくぼーっとしていたら玄関のチャイムが鳴った。

「やっぱり、寝てたー(笑)」という義姉の声。

もう来たの?と苦笑いしながら、全員で出迎える。

3つのお祝いの日、美容院から着付けを済ませて帰宅した直後

玄関前でころんで、結ったばかりの付け毛をぽろりと落とし泣いて化粧を崩し

着物を脱ぎたいとだだをこねていた姪が

すっかり綺麗にしあがって、晴れやかな笑顔で立っていた。

やっぱり女の子って、可愛くていいよね。

 

着物といえば。

結婚する前に、けいちゃんの実家に着物を着てお年始にでかけたとき

「女の子はいいわねぇ。 わたしにも娘がいたらこんなふうにちゃらちゃらと着飾らせることができたのに・・・」

と、義母に言われたことがある。

紅型の訪問着がそんなに派手だったとは思わないんだけれど

まだ嫁でもなかったのに「ちゃらちゃら」だって(笑)

そのときにはわからなかったけれど 、今同じ年代になって義母の気持ちがわからないでもない。

甥を見ては、自分も男の子を育ててみたかったと思ってみたりする。

姪の晴れ姿を見ていて、来年の我が子の成人式の時にはどんな派手な着物を着せようかと考えたりする。

20年なんて、あっという間のことで子供の成長は本当に早いものだ。

悔いのない毎日を過ごして欲しいと願う。

 

それにしても。

成人式のお祝いも姪・甥2人分となると、お年玉も含めてこの出費は痛いのだよ・・・とほほ。

2007年1月7日