
今週に入ってから、ピクミンの歩数が正しくカウントされず
今日はたった10歩ってどういうこと?
というわけで、あれこれ直すために悪戦苦闘したけれど
なんとか無事に正常値に戻すことができました。
自分だけで遊んでいるのであれば、別にどうでもいいことかもだけど
友達とグループを作っているので、わたしのカウント数が少ないと迷惑をかけてしまうから
直って、よかったーーー!
今日は、人員が足りているので昼のヘルプは不要と言われたので
事務所で自分の仕事をしていたのですが
のど飴を売店で買って戻ってきたところ、すのこに躓いて派手に転倒しました(笑)
両膝をついた瞬間、両手にお菓子と財布を持っていたので手が使えず
そのまま身体をねじってスライディング?いや、もうダイブしていましたね。
起き上がったら、赤いマットの先にお菓子が転がっていたし
誰もいないと思ったのに、同僚2人が駆け寄ってきてバレてるー!
すぐに膝と、小指はたぶんすのこにぶつけたらしく赤くなっていたので湿布を貼りました。
年を取ると、思ったより足が上がっていないのでしょうね。
数年前に転んでから腰痛持ちになったので、気を付けないとだめですね。
「これって、労災になりますかね?」
「いや、仕事中にお菓子を買いに行った時点でアウトでしょ」
ですよねぇ~(笑)
とりあえず、今は、痛みもなく大丈夫です。
けーちゃんの学生時代の同級生が19日に亡くなった。
葬儀が27日ということで参列できないので、急遽弔問に出かけることにした。
ご自宅に着き、彼の穏やかな表情をみたら泣けてきた。
やっちゃん、あんなにかわいいお孫さんもいるのに、早すぎるよ・・・
やっちゃんはわたしに対しては言葉数は少なかったけれど、いつも心配してくれて
にこにこ笑っていた記憶しかないけれど、わたしには忘れられない光景がある。
彼のお子さんが2歳で病死して葬儀に参列したときのこと。
妊婦の奥様が自宅から出棺する時にお子さんの名前を叫んでいて、胸が締め付けられる思いをした。
子供の葬儀の際、親は火葬場に行けないという古い風習があることは知っていても
何となく納得できない自分がいた。
でも、やっちゃん、今はその子に会えて一緒にいるんだよね。
やっちゃんに最後に会ったのはもう数年前で、やっちゃんのお店に飲みに行ったっけ。
この写真は、2018年9月10日のおっさんズの飲み会に参加した時のもの。
全員べろべろに酔っぱらって、楽しかったよね。
今日は富士山もずっと雲に隠れていて、やっちゃんの死を悼んでいるのかな。
昨年の今日は、こんなにきれいな富士山だったのにね・・・
いつかみんなもそちらに行くから
美味しいお酒とつまみを用意して、笑顔で待っていてくださいね。
今日は夕方から新宿で栄養士会議があって
でも事務所内ではリモートでもできるなら行かずに済む方法がないのか話をしていました。
例えば毛髪異物混入発生のためクレーム処理をするのでリモートに変更申請するが
調査の結果原因は生徒さんだった・・・みたいなことが起これば、行かずに済むよね?
・・・まさか、本当に起こるとは思いませんでした(笑)
同僚は、いやぁ、言ってみるもんですねぇと言って笑っていましたが
言霊って本当にあるのですね。
本日は、故障したブレーカーの交換工事のために日帰りでマンションに戻りました。
原因は漏電ブレーカーの故障で、実際に漏電していたわけではありませんでした。
マンションの理事長さんが、事前に部品をオーダーしてくださっていたので
30分ほどで工事が完了してしまいました。
いやぁ、電気がある生活っていいですねぇ。
朝は富士山が雲に隠れていたのですが、昼食を食べに出たら頭を出していたので
岩本山まで撮影に行ってきました。
引っ越してから、通勤時に山の上から頭だけを出している富士山は見ることができるけれど
わたしが好きな富士山は、やはり富士市から見る麓から山頂まで見える雄大な姿で
子供のころからずっと見守ってもらっている感覚です。
帰省するたびに会えること、撮影をすることを楽しみにしています。
また来るね、富士山。
昨日からドライバーさんが何やらクレームを事務所でしつこく言っていて
対応していた栄養士が閉口していた。
クレーム内容は以前からのルールについてだったので
わたしにはその経緯がわからないため、口も挟めずただ聞くしかなかった。
もしわたしがわかる内容だったら、ぐだぐだ同じことを言うなと一喝したかもしれない。
子供の頃は、大人に対してもはっきりものを言う子だった。
大人になるにつれて、正論を振りかざすことだけが正しい行為ではないことに気づいた。
口論になったら相手をやりこめてしまうことはわかっていたので
自分が我慢することで丸く収まるのであれば、事を荒立てるのはやめようと決めた。
相手の気持ちになって譲ることも覚えた。
その分、自分自身のストレスが大きくなって、何か別のことで発散させることも身に着けた。
わたしの父は会社でも有名なワンマンで、でも全責任を自分が負うことを信条としていた。
台湾に技術顧問団の団長として赴いた際も、鬼の団長と呼ばれていたらしいが
沈黙は金、相手を慮る、察する、というような日本的な考えは通じず
どんな些細なことでも双方が納得した答えを出すまでじっくり討論することが大切で
違う文化に触れ受け入れることで、父曰く、仏の団長になったらしい。
わたしも就職してからずっと、父のように責任が取れる社会人でありたいと足搔いてきた。
今日は父の誕生日。
最近インスタグラムで知り合った台湾の青年が投稿した風景を見ては
亡くなった父のことをよく思い出す。
場所こそ違え、職場環境が変わったのは父もわたしも同じで
その中で自己の信念を保ち邁進していた強い父を見習いたいと思う。
異動前の営業所の同僚から、調理師さんの訃報の連絡があったのが昨日のこと。
お悔みに行った際、彼が厨房で使用していた時計が止まっていたと画像を見せたら
ちょうどこの時間に亡くなったとご家族から聞かされたそうです。
体調を崩し自宅療養中もずっと仕事に行きたいと言っていたそうです。
この時刻は彼がいつも出勤する時間で、最期に出社したことを時計で知らせてくれたのですね。
なんとも不思議な話です。
人生という時計は、いつ止まってしまうか誰にもわからないものです。
でも病気によっては余命宣告されるケースもあって
最近では医師の間で「死ぬなら老衰よりも癌」という意見が多いのだそうです。
死期がわかるほうが残された時間を有効に使える、準備ができるという理由。
今会いたい人、もう一度行きたい場所、やりたいこと、やり直したいことなど
きっとその時になったら考えることは多いかもしれないので
できることなら後悔しないようなわたしらしい生き方をしたいと感じました。
嘉藤さん、生前はいろいろお世話になりました。
悲しみに暮れる営業所のみんなを見守っていてくださいね。