Travel book

待つことが嫌い、協調性がなく団体行動が苦手、計画を立てるのもめんどくさい
そんなわたしが2.5次元舞台にハマってから変わりました
物販に辛抱よく並び、知らない人に声をかけ、聖地巡礼ツアーに出かけ、京都旅行には自らルートを考え・・・
ヲタな旅行の覚書です

旅行嫌いなのに旅行記

長野 2016年9月10日:①松本城とおきな堂

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豊臣秀吉の家臣、石川数正・康長父子により創建された大天守・乾小天守・渡櫓は、江戸の家康を監視する城として

甲府城・高島城・上田城・小諸城・沼田城とともに秀吉側の城主が配置された江戸包囲網のひとつの城といわれています。

2011年の地震により天守の壁等25ヵ所にひびが入り、埋橋を渡っての入場も停止されています。

子供のころに訪れた時にはもっと大きい城だと思っていたのですが・・・

まずは腹ごしらえ!ということで、城の境内を抜けて縄手通りに向かいます。

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「おきな堂」は、昭和のレトロな雰囲気が漂う洋食屋さん。

「ボルガライス」をオーダーしました。

デミソースのかかったオムライスにチキンカツ、まるで大人様ランチです。

そしてこのチキンカツにかける中濃ソースがスパイシーで絶品でした。

京都 2016年5月30日:後ろ髪引かれながら

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仕事も無事終わり、帰りの電車に揺られながらふと外を見ると見覚えのある風景・・・

昨年わたしが行きたかったのに時間がなくて拝観できなかった妙心寺がある最寄駅でした。

まだ、拝観時間には間に合うのになぁ・・・と思いつつ京都駅に戻ってきました。

お土産はいつもの山椒と唐辛子と、友達に頼まれていた「緑寿庵清水の金平糖」

旅行の計画などほとんどしたことがなくて、いつも家族や友達のあとをついていくだけのわたしが

幕末の歴史を語りながら歩くとは誰が想像できたでしょうか。

それと、くまめいとにもすごく協力してもらって可愛い画像がいっぱい撮れました。

満足です。

旅のお供の銀さん、土方さん、お疲れ様でした。

京都 2016年5月29日:⑤祇園白川巽橋

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壬生寺から祇園に出て、まだちょっと時間があったので八坂神社にお参りに行き

後輩が行きたかった店を数件回り、いよいよ昨年のリベンジ、巽橋です。

最初巽橋に行きたいと後輩たちに話したところ、あまり興味がなさそうでしたが

雨上がりの風情に全員が狂喜乱舞です。

桜の季節に来たらさぞや綺麗なことでしょう・・・

残念なことに、狩矢警部はいませんでした。

夕食は橋のたもとにある「祇園たんと」でお好み焼きでした。

予約もなしに入ったのですが、運よく座れてラッキーでした。

ふっくらとしたねぎ焼きに大満足です。

1日中歩いて足はパンパンだけど、よく1時間半のロスから巻き返したと感心するばかりです。

わたし、やればできる子でした(笑)

京都 2016年5月29日:④壬生寺と屯所

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今回のメインイベント、壬生寺です。

坊城通りを進むと、左に前川邸、右に八木邸があるのですが、なんと!前川邸の門が開いていました。

個人の住居になっている為公開はしていないのに・・・

入っていいのかな?とおそるおそる門をくぐり、こっそり写真だけ撮ってきたのですが

あとで調べたら、土日祝日のみ玄関(隊士の行き来した当時の勝手口)で、グッズ販売しているそうです。

ちゃんと、確認すればよかったー!と後悔先に立たず。

いろいろ寺院めぐりをしていても、壬生寺ほど静寂で時間が止まっているように感じる寺院はありません。

お参りをしてご朱印帳に記帳していただき、壬生塚に入ろうとしたときにはすでに4時半で

あわただしいお参りとなってしまいました。

本堂の石段に座り境内を眺めていると、まだ若い壬生浪士たちが武芸を磨く姿が想像できて

当時はさぞにぎやかだったのだろうと思うとさらにもの悲しさを感じました。

「平和な日本の礎を作ってくださり、ありがとうございました」

表門で深々と頭を下げお礼を言って、八木邸に向かいました。

八木邸の受付は4時半に終了していたため、拝観もできず、門まで行くこともできず

入り口から写真が撮れただけで終了です。

屯所餅買ったんだから、せめて門まで入らせてくれよー!

というよりむしろ壬生寺からの八木邸拝観を予定の最後にするから悪いのではないか?

次回は、島原からの壬生寺からの西本願寺ルートを計画しようと思います。

京都 2016年5月29日:③今宮神社と大徳寺

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「玉の輿」の語源の由来とされる5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院によって再興したため

今宮神社は「玉の輿神社」とも呼ばれています。

当然、お目当ては「玉の輿お守」です。

また境内にある「阿呆賢(あほかし)さん」と呼ばれる神占石を手のひらで軽く三度たたいて持ち上げ

もう一度願い事を込めて三度手のひらで撫でて持ち上げます。

2回目に持ち上げた石が軽く感じることが出来れば、願い事が叶うそうです。

・・・あまり変わった気がしなかったのですが(笑)

今年はご朱印帳を購入しようと考えていましたが、西本願寺にはなかったのでここで購入しました。

表紙に野菜が描かれていて、栄養士だから食物って関係あるしいいかなと。

本当は壬生寺で買いたかったというのは内緒。

最後は、創業1000年の一和さんの「あぶり餅」です。

お昼を食べてお腹いっぱいと言いながらも、ぺろりと完食でした。

それから一休さんが復興したという大徳寺に向かいます。

本当は「龍源院」「瑞峰院」「大仙院」「高桐院」と庭園めぐりをする予定だったのですが

時間の都合で「大仙院」のみで、特別拝観していた「聚光院」の狩野派の襖絵とか茶室とかも素通りです(笑)

すべては、壬生寺のため・・・

京都 2016年5月29日:②レモン館

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当初の予定は、大徳寺→今宮神社→壬生寺→八木邸→八坂神社→祇園→ホテル

10時半には大徳寺に着くはずだったのですが到着したらすでにお昼で(笑)

名物の大徳寺納豆を購入後

昨年の妙心寺のことも頭をかすめたので、まずは腹ごしらえとなりました。

娘が調べてくれた町家風のカフェに直行です。

おまかせ弁当は京野菜のおばんざいに鴨ロースト、甘鯛の飯蒸し、コーヒーがついて1500円。

この界隈は観光客も少なく、昼時だというのに店には誰もいなくてのんびり食事をすることができました。

京都 2016年5月29日:①いきなりのアクシデント

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月曜日にウェルネスイベント開催の応援のために、京都の郊外にある営業所に行くことになっていました。

始発で出かけても準備に間に合わないといけないということで前泊となりました。

昨年に続き同じ時期の京都です。

どうせ前泊ならば、ちょっとした観光ができるのではないか?と計画を立てたのですが

後輩2人とも「おまかせします」ということだったので、ほぼわたしの趣味となりました。

旅のしおりも作成し準備万端だったのに、いきなり、アクシデント発生(笑)

横浜からひかりに乗ってくる後輩と静岡で合流するはずが、なんと寝坊をしたと連絡が入りました。

京都駅で1時間ちょっとただ待っているのももったいないので、今回は予定になかった西本願寺を目指すことに。

きっとこっちのほうだよね?ぐらいの感じで歩いていたら、「伊東甲子太郎外数名殉難之跡」の碑を発見しました。

偶然入り込んだ小路は、油小路だったのでした。

藤堂平助もこの小路を歩いたのかと思いながら、屯所が手狭になったため移転した西本願寺へと向かいました。

この広い境内で軍事訓練していたのでしょうね・・・

今回の観光は「くまめいと」と新選組の聖地巡礼がテーマです。

といっても、うちの「くまめいと」はトッシーと銀さんで「真選組」なんですけどね。

あわただしく京都駅に戻る途中、ハトヤ瑞鳳閣の一角に「此付近 新選組最後の洛中屋敷跡」の碑を見つけました。

どうやらこのあたりにまぼろしの屯所と言われる不動堂村屯所があったらしいです。

無事に後輩と合流することができましたが

ちょっと歩くだけで新選組の足跡をたどれることが、うれしいような悲しいような不思議な気分になりました。

京都 2015年6月1日:おみやげ

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ほぼ予定通りに観光は終了しました。

京都駅に戻ってきて、お土産の八橋や漬物を買って帰途に。

玄関を開けると、ティファが待ち構えていました。

初日はWebカメラに映っていたのに、2日目も3日目も全く映っていなかったのですが

やはり初日の夜に発生した地震の影響だったのでしょうか?

どうやらずっと娘のベッドの上にいたようでした。

さて、旅といえばお土産です。

今回は結果的には新撰組の歴史探訪記となったわけですが

銀さん

かつては白夜叉と恐れられた攘夷志士が新撰組のコスプレですかコノヤローって感じ(笑)

そんなわけで←どんなわけで?

京都旅行は、思った以上に楽しい旅行となりました。

次は、死んだ気で紅葉の季節、桜の季節に行きたいものだと思っています。

京都 2015年6月1日:⑤八木邸

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京都旅行の締めくくりは、最初に屯所が設けられた「八木邸」です。

近藤勇、土方歳三、芹沢鴨ら13名が宿舎としたことから新撰組の屯所となりました。

文久3年9月16日初代局長芹沢鴨粛清の場としても有名で

邸内には芹沢がつまづいた文机、斬りつけられた鴨居の刀傷などが

今でもはっきり残り、惨劇の凄まじさを物語っています。

八木家は鶴屋という和菓子屋経営しているため、抹茶とお菓子付で詳しい解説付屯所見学ができます。

「誠とは忠義なり」

尊王攘夷・倒幕運動の過激派志士が集まり治安が悪化した京都を守るために働いていたはずなのに

いつのまにか賊軍となり、時代に翻弄された最期の武士としての儚さに心惹かれるのでしょうか?

激動の幕末を駆け抜けていった若者たちの生き様に共感するのでしょうか?

まさしく滅びの美学といっていいものでしょうか。

日本の未来を各々が真剣に考えていた人がいた時代があったからこそ、今の日本があるのだと思います。

京都 2015年6月1日:④壬生寺

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壬生寺は新撰組ファンにとって、聖地のような寺です。

新選組は文久3年に、ここ壬生の地で結成されました。

当時、境内で兵法の練習や武芸や大砲の訓練が行われていたこと、沖田総司が子ども達を集めて遊んでいたこと、

近藤勇をはじめ多くの隊士が壬生狂言を鑑賞したことなど、新撰組にまつわる記録も多数残されています。

壬生塚には、局長の胸像や新撰組隊士の供養塔、芹沢鴨ら隊士の墓などが祀られています。

静寂な境内が、若くして散っていった隊士たちの御霊を包み込んでいるようで

気持ちが引き締まる思いがしました。