今年の漢字を一文字で表すとしたら「運」でしょうかね。

仕事では県内を車でどこまでも運転していた1年でした。

やりたいと思っていることがなかなかスムーズに運ばなくて

問題も山積みだし、運営の難しさを痛感しました。

それでも大きなトラブルも回避できたことは幸運だったかもしれません。

推し事ではチケット運に振り回された1年でした。

推しがフリーランスになって応援したくても、まずチケットが取れない・・・

7月中旬まで生まっきーに会えていないし、チェキも外れたし不運が続きましたが

2.5次元舞台がどんどんメジャーになっていくことは嬉しいことです。

舞台だけでなく映像や声のお仕事など幅広く活躍している推しをこれからもずっと見守りたいです。

今年は何と言っても戊辰戦争終結150周年・・・

土方さんと源さんのご子孫と一緒に京都散策もできたし

土方さんの誕生日を念願の札幌、函館で祝うこともできたし

しいていえば会津に行けなかったのが残念ですが、それはまた来年以降のお楽しみで。

母の急死もあって、全てが順風満帆なわけでもなかったけれど

それでもきっと人生を切り開くのは自分の意思であると思うし

来年も仕事も趣味も推し事も全力で後悔のないように運を引き寄せていこうと思います。

2019年12月31日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

健康志向

会社で推奨しているヘルシーメニューを巡回先でいただいたのですが

実はこの隣にがっつり唐揚げがあります。

栄養士でありながら

自分の適性エネルギーが1600kcal台だと知って「病人食じゃん!」と言ってしまうポンコツです。

まぁ、この業界に長くいると冷凍フライには飽きてしまって

野菜たっぷりの炒め物とか焼き魚とかを好むようになるのですが・・・

そもそも早食いを直したらいいのでは?(笑)

車で長時間運転することが増えて、このところ腰や膝が痛かったりで

さらに真剣に運動をしてダイエットしなくては?と思う今日この頃。

いやいやいや、ダイエットよりも呆けないようにしなくては。

2019年12月26日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

眼科

健康診断で眼底検査でひっかかって、精密検査のため有休を取りました。

待合室はほぼ年配の方ばかりで、でもその中にいてもなじんでいる自分がいて(笑)

結果は・・・異状なし。

これだから健康診断は嫌いなんだよ!

異常があると言われたら心配しちゃうじゃないですか。

早期発見早期治療で完治するのならいいけれど、不安を煽るだけであるならば

いっそのこと気づいたら手遅れで期日を切られた方がいいのかなとも思います。

車で来るなと言われたのでバスと徒歩で向かったのですが

帰り、本当に目がまぶしくて歩きにくいったらありゃしない。

なんかね、瞳孔が開いているのでどうなっているんだ?と鏡で見たら

めっちゃ瞳が大きくなっていて、思わず自撮りしちゃいました

どおりで付き添いの人が多いはずだなと納得しました。

そういえば母が白内障の手術をしたときに、わたしが連れて行ったっけ・・・

そんな今日は、母の誕生日です。

今頃父と空の上でお誕生日を祝っているのでしょうかね?

2019年12月24日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

忘年会その2、その3

昨夜は名古屋で会議後に忘年会でした。

今夜は浜松で忘年会でした。

昨夜は駅に車を停めていたし、今夜は浜松まで車で出かけていたし

飲めないじゃん・・・

ひたすら食べる、食べる、食べる(笑)

さて、今夜の余興は例の若いころの写真を使ってのクイズ。

なんと、わたしの写真がトリでした。

「35年前のとらさんのマドンナ」という副題がついていました。

みんな、どうしてわたしだとわからないのでしょうかね?

不思議。

例の写真は、昨年の11月のTravel bookにありますよ~

2019年12月18日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

健診結果

5日の健康診断結果が届きました。

ふむふむ。

とりあえず、メタボ非該当だそうです。

ただ十二指腸球部が変形、胃粘膜不整という判定。

まぁね、昨夜ご飯食べられなくて飢えをタバコでしのいでいたし

以前十二指腸潰瘍患っているし、しかたないよね・・・

そして。

今回は眼底検査にひっかかりました。

胃は気にならないけれど、目はちょっと気になるので眼科を予約。

老化って、やぁねぇ。

2019年12月17日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

適正エネルギー量

明日の研修で使用する資料を確認中、計算してみたのですが・・・

まずは適正体重は、1.59m×1.59m×22(理想的なBMI)=55.6㎏

そして適正エネルギー量は、55.6㎏×30kcal(活動量:中労働)=1668kcal

え~!!もはや治療食レベルの摂取量じゃん・・・

などと、管理栄養士とも思えない発言(笑)

毎日学校給食を食べていたら、痩せるかもね。

2019年12月13日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

形見分け

会議用に何か母のスーツで着れるものはないかな~と実家に寄ったのですが

・・・忘れていましたよ、母の服は「普通」ではないことを(笑)

義姉はスレンダーな人なので、母の服はちょっと大きくて

わたしにはちょっと窮屈ではあるものの着れないこともないのですが

とにかく、母の服は派手なのです。

パーティーとか謝恩会とかならいいのでしょうが、会議にはちょっと・・・

この画像ではわからないかもですが、金糸やら金ボタンやらできんきら。

ニットもたくさんあっても、フェミニンなのにビジューてんこ盛り(笑)

しかも、母の服を着るとめちゃ年相応になってしまって、そこは避けたいところ。

でも義姉がこれもあれもそれも持って行けと、たくさん持たせてくれました。

ついでにバッグも。

いつかこれらの服が陽の目を見ることがあるのかどうかは不明ですが

ふっとお腹をへこまさなくても着れるように準備だけはしておきましょう。

2019年12月10日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

ネタふり

昨夜は娘のアパートに泊り

今朝は舞台を観に行く娘を見送って、洗濯をしてから自宅に戻ってきました。

夜になって、帰宅した娘から電話がかかってきて

「驚いたことにね、バッグに鍵がない(笑)」

・・・帰ってくれば?

というわけで、急遽帰省してきたぽんこつな娘がここにいます。

まぁ、わたしが玄関で見送ってドアを閉めたため

娘は鍵をかけるということをしなかったので、忘れたことさえ気づいていなかったわけで

不可抗力と言えばそれまでなのですが

わたしのブログネタを提供しただけだそうですよ。

2019年12月8日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

竜の巣

母の葬儀は、あいにくの雨。

もう入院した時点で、母は自宅に帰れないと覚悟はできていた。

母は着物を着ることが多かったので、いつも髪をアップしていて

70歳を過ぎても赤いハイヒールを履くようなお洒落な人だった。

病院にいる母は髪をばっさり切られて、痴呆もすすみ

わたしの知っている母はそこにはおらず、老いた母を受け入れることがどうしてもできなかった。

亡くなったことは悲しいけれど

でも、もう苦しまなくてもいいし、義姉にも世話をかけなくてもいいし

何よりも自宅に帰ってこられてよかったと思う気持ちが強くて

泣けないわたしの代わりに雨が降っているのだと思った。

葬儀、祓いの膳が終わった頃に急に外が明るくなって

美しい富士山が姿を現した。

まるで、山頂にかかる雲が竜の巣のようで「ラピュタは本当にあったんだー!」と。

母が天空の世界に旅立つために現れたかのように感じたヲタな娘で

何だかすみません・・・という感じ。

2019年12月2日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

1枚の写真

葬儀前のナレーション用に故人とのエピソードを提出することになっていて

いろいろ家族と話し合っていたのだけれど

わたしの話は最終的にネガティブなものになるので使えないと義姉が笑う。

母は洋裁や編み物が好きで、子供の頃のわたしの服はほぼ母の手作りだった。

従姉妹たちは羨ましがっていたが、わたしは母の服が嫌いだった。

ひらひらとレースやフリルがついた可愛らしい服ばかりで

その服を着て走り回っているわたしを見ては

必ず周囲の大人が「お兄ちゃんと男女逆に生まれてくればよかったのにね」と言う。

新しい服を見るたびに、あぁ、また服は可愛いのにって笑われるんだなぁと

おとなしい兄と比較されるのが本当に嫌だった。

祖母は「長男で後継ぎだから」と兄を溺愛していたので

子供ながらに同じ内孫なのだから平等に扱ってほしいと訴えたこともある。

どうにかして認めてもらいたいという思いもあって

たぶん「女だからという理由で負けたくない」という気持ちが徐々に大きくなり

何でも一人でできるようになって自分を笑う大人を見返したいと思っていた。

それには、あの母のフリフリな服は邪魔でしかなかった。

小学校の修学旅行でも、すでに母は新しい生地で作る気満々だったらしいが

どうしても普通の既製服が欲しいと、デパートで自分好みの服を買ってもらった。

母は、同級生と同じ服に不満そうだったが、わたしは満足していた。

今考えると、物心ついてからあまり母に甘えたこともないように思う。

弱みを見せることも「できない」と言うことも本当に嫌だった。

「できて当たり前」で、褒められたこともない。

わたしがちょっと道から外れそうになると、ちくっと釘を刺され

それが反発力となって自ら軌道修正をする。

母は気が強いわたしの性格をよく理解していて、遠隔操作をしていたようだ。

まだ母が元気だった頃、わたしをどういう子に育てたかったのか聞いたことがある。

「普通に結婚して、普通に妻、母親になってほしい」と思っていたそうだ。

「普通」を強調するあたり、きっとわたしは普通には見えていなかったのだろう。

妻で母なわたしが、当時は単身赴任をしていたのだから。

「でも、今の仕事や生活は充実していて楽しいのでしょ?」と笑う母に

願い通りにならなくて悪かったねと言うしかなかったが

男女平等と言われながらも社会に出るとやっぱり男性優先の現実に

ずっともがいてきたわたしにとっては、初めて母に褒められたと感じた一言だった。

アルバムにある1枚の写真。

2歳ぐらいのわたしが母の膝にちょこんと座り笑っている。

わたしはこの写真が一番好きだ。

この頃のまま、もっと素直に甘えられる子供であったなら

人生はまた別のものになっていたかもしれないけれど

信念を曲げず強く頑固で不器用な生き方しかできないわたしを否定しなかった母に感謝している。

お母さん、ありがとう。

あなたの娘は「生涯現役」をモットーに今でも不条理と戦っています。

2019年12月1日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん