通夜と葬儀の日程が決まって、事前にやることがてんこ盛り。
まずは、出社して訃報報告書の作成と提出。
午前中に仕事はだいたいのめどを立てて、午後から美容院を予約して
夕方から実家に行って・・・
遺族って、決めることがいっぱいで悲しんでいる暇もないものです。
そういえば、昨夜からご飯食べてないや。
思わぬところでダイエットとなりました。
通夜と葬儀の日程が決まって、事前にやることがてんこ盛り。
まずは、出社して訃報報告書の作成と提出。
午前中に仕事はだいたいのめどを立てて、午後から美容院を予約して
夕方から実家に行って・・・
遺族って、決めることがいっぱいで悲しんでいる暇もないものです。
そういえば、昨夜からご飯食べてないや。
思わぬところでダイエットとなりました。
兄から昼過ぎに母が転院したというメールが届きました。
入院手続きの書類に捺印してほしいので実家に寄ってほしいとのこと。
仕事を終えてそろそろ実家に帰ろうとしていた頃に届いた2通目のメールは
「母危篤」
昨年11月末に脳出血で入院後、病院とリハビリセンターを行き来していた母は
2月のレントゲンでは肺はきれいだったのに
この数ヶ月で急激に異常が見られ、肺がんを疑われていました。
でももう高齢だし緩和治療しか方法はなく、体調も一進一退。
兄には後悔しないように見舞いに行けと促されていたけれど
痴呆が進み、わたしの顔も自分の名前さえも忘れてしまった母を見るのが辛くて
結局一度も見舞いに行きませんでした。
病室に入ると、すでに兄夫婦、姪夫婦がいて
わたしが到着したことを確認した医師が死亡宣告をしました。
11月28日 19時53分 母は87年の生涯を閉じたのでした。
マネージャーやクライアントからのメールで、事務所の向かい側の工場の火災を知りました。
わたしは朝から巡回で出かけていたので現場を見ることもなく
ほぼ通行止めで社内に入るのも困難だというのでそのまま直帰することにしました。
事務所の同僚に画像だけ送ってもらったのですが
めちゃ燃えてるじゃん!!
事務所にいたら、ずっと外に出て眺めていて仕事にならなかったのではないかと思われます。
災害が起こるたびに思うことは、全てが無くなってしまうということ。
先日の首里城の火災では収蔵されている宝物の3割が消失したそうですが
このブログが消えてしまったことさえ、いまだに腹が立つのに
写真やら思い出の品やら全てが消えてしまうのは、本当に辛いことです。
火災を出さないことが一番重要だと思うけれど
大切なものをいかに被害から防ぐかも考えていかないといけないのかもしれません。
娘の誕生日はうなぎを食べることが夫婦の暗黙のルールになっています。
それは、娘の出産時にけーちゃんはうな丼を食べていて肝心の時にいなかった戒めからなのですが
そんなエピソードも含めて、うなぎはわたしにとって特別なものです。
いつからなのか自分でも記憶は曖昧なのですが
父の中でわたしが一番好きなのはうなぎだと思っていたようで
何かあるたびにお土産にうな重を買って帰ってくるようになっていました。
試験勉強の夜食にというのは定番で、これを食べて頑張れということだったのでしょうが
食べたら満足して眠くなるだけで(笑)肝心の試験結果は・・・でしたけど。
子宮筋腫摘出手術後のお見舞いも、うな重でした。
ようやくお粥から常食になったばかりだというのに
こってりしたうな重を朝食に完食するという強者がここにいます。
だから、きっと大丈夫。
わたしの最期の晩餐は、当然のことながらうな重と決めています。
今日は父の13回目の命日です。
いつかまた会える日まで、誠実に日々を過ごしたいと思います。
22日午後1時すぎ、甲府地方気象台から初冠雪が発表されたそうです。
天皇陛下即位の儀式のさなか
東京周辺の上空に虹が現れ富士山が雲間より現れるという奇跡的な展開に
昨日はTwitterがとても賑やかでした。
静岡県内からは先週雪化粧した姿が見られたそうですが
初冠雪の発表は甲府地方気象台から雪が見えることが条件なのだと、この歳になって初めて知りました。
今朝は美しい富士山を堪能すべく、仕事に向かう途中富士川SAで撮影をしたのですが
実は会社から配付されているガソリンカードが見当たらず
たしか、会議の帰りにセルフスタンドで給油して、カードをぽいっとシートに置いたような?
差し込んだままだったっけ?無くしてしまったのだろうか?いや、それって始末書もんじゃないの?
などと、頭の中でぐるぐるしていて富士山どころじゃなかったのが現実です。
帰宅して、会議の時に着ていたスーツのポケットを探ったら無事に発見できました。
めでたし、めでたし。