8歳になりました。
人間の年齢に換算すると48歳だそうです。
もういい年なのに、どうしてこんなにカメラが嫌いなのでしょうね・・・
実物はもっと可愛いのに。
娘の職場にある自動販売機の下に、子猫が入り込んでしまって出てこないそうです。
送りがてらけいちゃんと見に行ったのですが、鳴き声はするものの捕まえることはできそうにありません。
同じ猫なのに、生まれた境遇が違うだけで飼い猫と野良猫ではまったく生き方が変わります。
でも本当はどちらが幸せなのかはわからないようにも思います。
ティファは安全な寝場所もご飯も与えられているけれど、家の中の世界しか知りません。
カリカリのキャットフード以外のおいしいものを食べてみたいかな?
外で走り回ったりしてみたいのかな?なんて思うこともあります。
願わくば、あの子猫が無事に安全な場所に移動したくましく生き抜いてほしいと思っています。
今日は先代にゃんこの「せな」の命日です。
大好きだった「あんこ」をお供えしました。
ティファと違って、せなは抱っこされるのが嫌いな猫でした。
寝るときはいつも足元で丸まっていることが多くて、添い寝はしてもらえませんでした。
明け方になると、いつもわたしの足首に飛び掛ってきて噛み付いて起こしてくれました。
もっぱらわたしはせなのおもちゃだったらしく、腕や足は傷だらけでした。
網戸を器用に開けてベランダに出てはせみを咥えてきたり、夜中に走り回ったり
本当にやんちゃだったけれど、我が家の大切な家族でした。
ある日、お土産でいただいた温泉饅頭を箱ごとダイニングテーブルに置いたまま寝てしまって
翌朝ふたが開いていて1個ずつ歯形のついた饅頭が床に散乱していて、叱ったのですが
その後「あんこ」が入っているものを食べていると欲しがるようになりました。
糖尿病になったのは、きっとあんこが原因だったと思うのですが
人間が食べるものを与えることのリスクを、当時のわたしたちはよくわかっていませんでした。
甘えることが下手なせなが、すりすりしてくるとうれしくなってしまって
手から食べてくれるのが至福のときだったのです。
10年前の8月26日。
わたしはどうしても休むことができない仕事があり、せなの最期を見届けることができませんでした。
わたしには最期を見せたくなくて、わたしが家を出るまで頑張り
泣き虫の娘には「死」を受け止めてもらうように見届けさせ
最期のお別れができるようにけいちゃんが休みの日を選んだのではないかと思っています。
そして今でもせなを思い出すたびに
我が家にきて幸せだったのだろうか?満足した一生だったのだろうか?と問いかけてしまうのです。
昨日資料を探しているときに、デスクからせなの写真が見つかりました。
大丈夫、絶対せなのことは忘れないから・・・