けいちゃんはゴルフ、娘は仕事、久しぶりに1人きりの休日です。
って、何もすることがない・・・ので、TV三昧。
ビバ、hulu(笑)
けいちゃんはゴルフ、娘は仕事、久しぶりに1人きりの休日です。
って、何もすることがない・・・ので、TV三昧。
ビバ、hulu(笑)
姪に女の子が産まれました。
5人いる姪、甥のうちの4人が結婚していて、この子で5人目なのですが
5人のうち3人が今年度に生まれた同級生という・・・ベビーラッシュです。
お祝いが大変だよ~というような話を会社でしていたら
「同級生ということは、これから七五三、入学式、成人式・・・とお祝い3倍ですね」
と同僚に言われて、背筋が凍りつきました。
叔父さん、叔母さん、頑張らねば。
今日は祖父の命日。
亡くなったのはわたしがまだ幼稚園児の頃だったから、祖父との思い出はほとんど覚えておらず
葬儀の日は冷たいみぞれが降っていたなぁという記憶程度です。
祖父母といっしょに写っている写真が多いので、すごく可愛がられていたようです。
祖父は大工の棟梁でした。
気に入った材木があるとおしげもなく購入していたそうです。
弟子にはそれらを大切に扱えとふだんから厳しく言っているのに
わたしが仕事場でその大切な材木を金槌で叩くのを祖父がにこにこして見ているので
弟子たちは祖父に叱られると、わたしの顔に墨つぼの墨でいたずら書きをして鬱憤を晴らしていたのだとか。
自宅の離れには弟子たちが寝泊りしていて
母は、家事に加えて弟子たちの世話、集金、それに入院していた祖父の世話など
今となってはすごく忙しかったのだろうと理解はできるのですが
当時のわたしは、たまに母が後から幼稚園に届けに来るお弁当が嫌でたまりませんでした。
みんなが食べ始めていてもぽつんと待たされていたり、たまに菓子パンだったり。
だから今でも菓子パンはあまり好きではありません。
「食べる」行為は記憶に直結します。
祖父が好きだった日本酒を水と間違えて飲んで酔っ払ったこととか
祖母が作ってくれたコロッケとか
父が連れて行ってくれたホテルで初めて飲んだポタージュスープとか
全てが懐かしい思い出です。
姪が2月に出産予定です。
お祝いの品についてLINEでやり取りをしていて彼女の画像が送られてきました。
これって、流出したら大騒ぎじゃない?(笑)
けいちゃんの実家に代々伝わる「地方古文書」には
足軽大将であった遠山辰右衛門が、武田勝頼公の和睦状を持参し敵方の織田信長に面接し書状を渡す目的で密行したが
ときすでに遅く武田軍は織田・徳川の連合軍に破れ、天正10年6月、勝頼は天目山で自刃。
遠山辰右衛門はやむなくこの町にとどまり再び主に仕えることはなかった、とあり
そしてこの遠山辰右衛門の名前が実家の一番古い墓石に刻まれていることから我が家のルーツとされています。
お屋形様が家臣の小山田信茂の離反にあい100人足らずの家臣を連れて引き返すシーンでは
このなかにご先祖様がいたのだろうかと思うと、ちょっと切なくなりました。
わたしの父は大学時代甲府にいたこともあり、武田信玄が好きでした。
大河ドラマを見ながらよくドラマの背景となる歴史を説明してくれたのですが
父の誕生日に武田家ゆかりのドラマが始まるのも、何かの縁なのでしょうか。
20日に出席した結婚式会場で、パールのピアスがないことに気づきました。
1年のうちにダイヤとパールを失くすなんて・・・
こりゃ引き出物のカタログで淡水パールのピアスを頼むしか!と思っていたのですが
なんと、けいちゃんによってパールは無事自宅の洗面所で発見されました。
キャッチ部分は見つからなかったけれど、まぁよしとしましょう。
今日の大掃除中に何度かガリガリと掃除機が吸い込んだけど、そのどれかがキャッチだったのかな?
今月になって家族全員が、義父の命日を忘れていたことを思い出しました。
しかも、いつだったっけ・・・?というなんとも情けない話です。
義父は、入院して1週間であっという間に亡くなってしまい
しかも誰一人間に合うことができなかったので、今でも実感がわきません。
遊びに行ったらひょっこり畑仕事姿で顔を出すような気がします。
「義父の命日は結婚記念日の2日前、父の命日は娘の誕生日の2日後」
そう、今日は父の命日です。
忘れないことが一番の供養だといいますが
全くもう、お前たちは・・・と笑っているような気がします。
FBを見ていたら、甥のプロフィール画像が変わっていました。
ん?
子供が1人増えているし(笑)
なんと、8月末に2人目が生まれていたことを知らされていませんでした。
これではお祝いもしない不義理な叔母という烙印が押されてしまうではないですかっ!
全く、誰も教えてくれないってどういうこと~?
10月から始まった「コウノドリ」を見るたびに
出産は病気ではないけれど、必ずしも全てが安全で確実ではないのだということを思い知らされます。
わたしもその1人です。
結婚したら、普通に妊娠して普通に分娩できると思っていましたが
実際はなかなか子供ができなかったし
妊娠したら逆子からの横位で、結局帝王切開だったし
しかも開腹したらソフトボール大の筋腫が見つかるし
先生が「ご主人を呼んできて」と言ったら、ご飯を食べに出かけていて不在だったし(笑)
まぁ、これについてはけいちゃんの名誉のためにも言い訳をするならば
手術に時間がかかるだろうと思っていた母がのんびり叔母と先に食事に出てしまって
あとから行ったけいちゃんと義母が間に合わなかったというわけでしたが。
今でも「肝心なときにうな丼を食べていた」と言われ続けるので
毎年娘の誕生日の昼食はうなぎを食べることに決めています。
でも。
もしあの日けいちゃんが手術室の前にいて先生に呼ばれていたら、どんな決断を下したのでしょうか?
結局は大事に大きく育てた筋腫を10年後に全摘出することになるのですが
二度と子供が産めなくなるという現実をあの日断ち切ることができたかどうかは不明です。
お誕生日おめでとう。
いつまでも自慢の娘でありますように。