FBを見ていたら、甥のプロフィール画像が変わっていました。
ん?
子供が1人増えているし(笑)
なんと、8月末に2人目が生まれていたことを知らされていませんでした。
これではお祝いもしない不義理な叔母という烙印が押されてしまうではないですかっ!
全く、誰も教えてくれないってどういうこと~?
FBを見ていたら、甥のプロフィール画像が変わっていました。
ん?
子供が1人増えているし(笑)
なんと、8月末に2人目が生まれていたことを知らされていませんでした。
これではお祝いもしない不義理な叔母という烙印が押されてしまうではないですかっ!
全く、誰も教えてくれないってどういうこと~?
10月から始まった「コウノドリ」を見るたびに
出産は病気ではないけれど、必ずしも全てが安全で確実ではないのだということを思い知らされます。
わたしもその1人です。
結婚したら、普通に妊娠して普通に分娩できると思っていましたが
実際はなかなか子供ができなかったし
妊娠したら逆子からの横位で、結局帝王切開だったし
しかも開腹したらソフトボール大の筋腫が見つかるし
先生が「ご主人を呼んできて」と言ったら、ご飯を食べに出かけていて不在だったし(笑)
まぁ、これについてはけいちゃんの名誉のためにも言い訳をするならば
手術に時間がかかるだろうと思っていた母がのんびり叔母と先に食事に出てしまって
あとから行ったけいちゃんと義母が間に合わなかったというわけでしたが。
今でも「肝心なときにうな丼を食べていた」と言われ続けるので
毎年娘の誕生日の昼食はうなぎを食べることに決めています。
でも。
もしあの日けいちゃんが手術室の前にいて先生に呼ばれていたら、どんな決断を下したのでしょうか?
結局は大事に大きく育てた筋腫を10年後に全摘出することになるのですが
二度と子供が産めなくなるという現実をあの日断ち切ることができたかどうかは不明です。
お誕生日おめでとう。
いつまでも自慢の娘でありますように。
まだわたしが単身赴任をしていた頃、母にどんなふうにわたしを育てたかったのか聞いたことがあります。
私立の中高一貫教育を決めたのも「男を男と思わず行動する」わたしを、優しい女の子に育てたかったそうで
親子面談のときに「お母様のご希望通りのお嬢様として卒業させてみせます」的な回答をされたらしいです。
まぁ、入学したらわたしのような子がいっぱいいて、たぶん母は当てが外れたと思うのですが(笑)
とはいうもののわたし自身、この性格ですごく損をしていると感じたことも事実なので
結婚して、もし女の子が産まれたら
「砂糖菓子のようなふんわりした、困ったときに誰もが手を差し伸べてくれるような女の子」がいいと思っていて
結果的には思ったとおりの子に育ったわけですが
きっと母が望んだのは娘のような女の子だったのではないでしょうか。
だから、「普通に結婚して、いい奥さん、お母さんになって欲しいと思っていた」と
「普通」を強調されて言われたときには「思い通りにはならなかったねぇ~」と笑うしかありませんでした。
それでも「仕事を頑張っている今のわたしが楽しく充実しているのであればそれでいい」と言ってくれたので
とりあえず常識人として育ててくれたことにお礼を言っておきました。
・・・常識人か?(笑)
今年もFBやLINEでたくさんの友達や会社の同僚、上司にまでお祝いの言葉をいただきました。
けいちゃんからはヴィトンのキーホルダー、娘からはくまめいとの銀さんと土方さん
欲しかったプレゼントにほくほく顔です。
これからも仕事も遊びも趣味も、本能のままに「生涯現役」を目指そうと思います。
このお金がかかる趣味には、働くしか!(笑)
京都旅行で購入した鞍馬寺のろうそくを実家に供えてきました。
なかなか墓参りにも行かない娘、嫁を少しは許してくれるでしょうか・・・
墓参りといえば、先日従姉妹の葬儀に兄の車で出かけた時のこと。
「たまには代わりに行ってくれてもいいんだけど?」とお墓参りのリストを渡されました。
父が亡くなる数年前にいっしょにお墓参りに行くようになって
父が作ったリストを徐々に手直ししていって、1日で廻れるようルートを修正していったそうです。
それには親戚の菩提寺、亡くなった方の名前や命日、墓の位置などが細かく記載されていました。
わー、気持ち悪い(笑)
そういうへんな几帳面さがわたしだけではなく、兄にもしっかり受け継がれていたなんて!
今日は従姉妹の葬儀でした。
5年ほど前から膠原病を患い、1ヶ月前から入院をしていて
人工透析後に急変し、帰らぬ人となりました。
従姉妹夫婦には子供がいません。
ご主人がずっと頬をなでながら語りかけていた姿には、参列者全員が言葉になりませんでした。
まだまだ夫婦2人で、気の合う仲間と一緒に旅行に行く楽しみがこれから先もいっぱいあったのに
残念でなりません。
従姉妹はわたしより6歳年上でしたが、とてももの静かで可愛らしい人でした。
わたしの母は裁縫や編み物が好きで、わたしが子供の頃に着ていた服はほとんど手作りで
それをわたしは家が貧乏なので服が買えないんだと真剣に思っていたのですが
従姉妹は当時すごくうらやましかったと話してくれたことを思い出します。
伯母の家に遊びに行っても不在のことが多く、こっそりと従姉妹たちの部屋に忍び込み
ちょっと大人のお姉さんの部屋の雰囲気を感じ取ることができるのが好きでした。
帰宅してから自分の部屋もちょっと模様替えをしたりして、かなり感化されたように思います。
お棺に花を入れるときに、そんな大人の世界を教えてくれてありがとうと
感謝しながらお別れをしてきました。
今日は大安なので、姪への出産祝いを持って出かけました。
甥にも姪にも、出産祝いはベビーカーです。
叔父さん、叔母さん、やりくり大変(笑)
ちょっと見ない間に大きくなっていましたよ。
鼻が曾おじいさんにそっくりで、ということは、わたしにも似ているわけで。
どんだけ、父のDNAがすごいか(笑)びっくりです。
さてさて、右下の赤ちゃんは甥の子供なんだけれど、いとこ同士なので二人とも似ています。
その昔、わたしもこの二人のような顔の赤ちゃんが出てくると思っていたのに
母方よりも父方のDNAを強く受け継いで産まれてきたのでした。
もし、二人目を産んでいたら、丸っこい顔の赤ちゃんが出てきたのかしら?なんて思ったりして。
いや、隔世遺伝で、娘が産む子がわたしに似てるかもしれないし・・・
当分予定はないのですが、楽しみにしていましょう。
こんなにおっかなびっくり抱っこしているようではまだまだ先かもしれませんが。
って。
こういうのも、マリハラというらしいですよ(笑)