吼える

厚生労働省の研究班の試算によると、たばこが1箱1000円になった場合

税収は今後10年で約9兆円の増加が見込めるらしい。

禁煙する人も増えるため増収につながらないとの意見もあるが

「多くの喫煙者はやめたくてもやめられず、値上げするだけ税収アップになる」と予測している。

そこで、毎日1箱たばこを喫うとしてわたしも試算してみる。

年間購入額は116800円、そしてそのうち税金は73817円。

生涯でたばこに支払う金額は766万、税金は484万。

6割もが税金なのだから当たり前なのだが、本当に高額納税者だなぁと思う。

喫煙による健康への影響ははいろいろ指摘されているが

厚生労働省サイドで「多くの喫煙者はやめたくてもやめられず」と勝手に言い切っているところが気に入らない。

わたしは自分の意思で喫煙しているので、禁煙しようとも思っていないが

どうせやめられないのだから、がっつり納税させられるだろうと考えているところがあざとい。

愛煙家をなめんなよー!

 

昨日は、埼玉、群馬、栃木と営業所を巡回し湘南新宿ラインで戻ってきた。

疲れていたのでグリーン車に乗ったのだが、車内はがらがらで

わたしを含め3人が点々とちらばって座っていた。

途中からサラリーマン3人が乗ってきて、わざわざわたしの前の席に座った。

がさごそとビールとお菓子を広げ大声で話し始めた。

静かだった車内は一変し、あっという間にビールとお菓子の臭いが充満した。

せっかくお金を余分に出して静かなゆとりの空間を確保したのに・・・

怒鳴りたい気持ちを抑えつつ、2階から1階の車両に移動した。

たばこを喫わない人は、たばこの臭いをあからさまに嫌う。

嫌煙権を行使する。

それならば、酒が嫌いな人は?

わたしは酒も飲むが、公共の場で飲むことはしない。

たばこよりも酒によるトラブルや事件のほうが多いのではないか?

酒を飲んで暴れることはあっても、たばこで暴れる人をわたしは見たことはない。

たばこを喫えない場所だらけにしたうえに高額な税金をふっかけるのなら

車内だって禁酒にしろよ!って思う。

っていうか、酒は飲まずにいられないわけではないので

酒にもっと税金かけてもわたしは全然困らないっていうだけのことなんだけど(笑)

結局、公共マナーが欠落している人が多すぎるということか。

2008年9月18日

エゴ

避妊手術のための1泊入院から無事帰宅したティファ。

しばらく落ち着かない様子でずっと傷口をなめていたが

30分ほどでご飯を食べ始めたので、とりあえず一安心。

mixiのコミュで、避妊手術の是非の論争が起きていた。

何度か発情期をむかえ、ふにゅふにゅとしている姿をみていると

何もしてあげられないことがつらく、かといって産ませてあげられる環境でもない。

マンションで完全な室内飼いなので、避妊手術は必要ないかもしれない。

人間のエゴといってしまえばそれまでだろうが

それでもわたしは、ティファにとって正しい選択をしたと思っている。

実家にいるサンは、もともと野良猫が家の敷地内で産んだ子猫でいつのまにか家猫になったものだ。

気ままに外で出て行くので、去勢手術をおこなった。

父が「せっかく男として産まれたのに、かわいそうだ」と言っていたのを思い出す。

せなの時には、マーキングしないうちにと思っていたのであまり深く考えなかったのだが

わたしも筋腫のために子宮摘出手術をしていて、術後の痛みがわかるだけに

ティファのときにはちょっと躊躇した。

市内の獣医で手術を行えば助成金が出るのだが

やはり信頼できる隣町のかかりつけの獣医を選んだのもできるかぎりのリスクを避けたいがためだった。

狭いケージに押し込めておくより、自宅のほうが本人が安心していられるから

日帰りでも大丈夫だと獣医さんには言われたのだが、念のため、1晩預かってもらうことにした。

帰宅したティファのおなかには、10cmほどの傷があって痛々しい。

エリザベスカラーも試してみたのだが、嫌がったのでそのままむき出しの状態で連れて帰ってきた。

でも傷を舐めてはいるものの、人間のように痛がって泣くわけではない。

日帰りでも大丈夫ということは、動物は痛みの感覚や自然治癒能力が人間とはちがうのかもしれない。

それでも傷を止めてある針金状のものをガシガシ噛もうとするので

娘の小さい頃のスパッツを切って腹巻にしてみた。

嫌がるかと思ったら、歩きにくそうだが案外いい感じ。

ご飯を食べさせてもらえないまま病院に連行され

気付いたら見知らぬ場所に閉じ込められて、おなかが痛くて

何をされたのかわからないまま、たぶん人間不信に陥っているのではないか?

ティファが言葉を話せたら、何を考えているのかわかるのになぁ・・・

痛い思いをさせてしまって、ごめんね。

2008年6月1日

「明日OB会があるから、手伝いに来てくれてもいいよ」

と、土曜日の会議後、マネージャーから言われた。

けいちゃんが仕事だということもあり、みんなの顔が見たくなって出かけた。

今の職場も居心地が悪いわけではないが

やはり何年もいっしょに働いていた仲間との仕事のほうが気心が知れている分、気が楽だ。

実は、父がなくなってからOB会に出ることが嫌だった。

父よりも年の多いOBたちが元気に会食をしている会場で料理の提供をしていると

本当ならここで父が会長として挨拶をしているはずなのに

どうしてここに父がいないのだろう?と思うからだ。

それでも相変わらず、父の同僚や部下だった人たちが声をかけてくれて

毎度毎度会場でわたしはぺこぺこ頭を下げている。

今日は、その中の1人で当時人事担当だった方が

「転勤したと聞いたけど、もしかしたら出てくるかなと思って用意してきたんだ」

と、わたしに昔の父の写真を焼き増ししてわざわざ持って来てくれた。

そして「どこにいっても元気で頑張れよ」と励ましてくれた。

父がいなくても、こうしてわたしのことをまるで自分の娘のように

気にかけてくださる方々に、感謝の気持ちでいっぱいになった。

そして、もう1つのサプライズ。

OB会は、前半が総会、後半が懇親会という2部構成になっているのだが

前半での講演会のゲストが、なんとけいちゃんの同級生である「富士宮やきそば学会」の会長。

来賓席にビールを持っていったら、そこに渡辺氏が座っていたので思わず

「こんなとこで、何してるの?」と声をかけてしまった。

周囲の人はそんなわたしに驚いたようで、その関係にさらに驚いたようだった。

本当に、人とのかかわりあい、縁というものは大切にしたいと思った1日だった。

2008年5月26日

削除

栄養士のコミュに久々にコメントを入れたら、しばらくしてトピそのものが削除されていた。

わたしはトピ主がただ単純に疑問に思ったことを書いたのだろうとその文面から受け止めたのだが

トピ主の質問に対して批判的な意見が多かったのも事実だ。

文字だけでは感情が伝えきれないので、さまざまな誤解が生ずることがある。

どうとらえようとそれは読み手の自由なので仕方のないことなのかもしれない。

ただ思うのは

栄養士として働いている現役と、学生との間にはかなりの温度差があるということだ。

社会人となるための心構えとか常識を伝えようとしているのに

見ず知らずの大人に痛烈な批判をされたと感じるのだ。

アドバイスとして真摯に受け止めるだけのキャパは持ち合わせていない。

 

「ゆとり教育」社員で職場崩壊
「ダメじゃん」「そんなことも知らないの」と叱るとすぐ「休職」
若者はたった1カ月で会社を辞める
入社早々転職サイトに新入社員の登録が激増
「だるいっすね」と研修4日目で姿消す
テキトー就活のツケ

 

「あせらなくてもいいよ、ゆっくりやればいいからね、個性を大切にしようね」

と言われながら育てられたゆとり教育世代を「低体温新入社員」と言うらしい。

コミュニケーション能力・協調性の不足、向上心・積極性の不足、忍耐力の不足

などの質が低下したといい、それはゆとり教育が原因だといわれているようだ。

さらに、「そんなにいやなら辞めたらいいわ。 あなたにはもっと自由に選択する権利があるのだから。」

と、我が子の背中を後押しする親が存在するらしい。

社会の厳しさを教えず、現実から目をそむけ

正しい日本語を書けない、話せない子供たちをどうやって導いていくのか?

ゲームのようにちょっとミスしたらリセットを押せばいいような仕事などない。

人の感情も簡単にリセットできるものではない。

栄養士の仕事は、人とのコミュニケーション無しにはできない。

さまざまな人格を認めることができないようでは、この仕事は続かない。

いや、どんな職種であれ難しいのではないかと思う。

2008年5月19日

在り続けること

今日発表になった人事異動で、栄養士が4人ほどマネージャーに昇進していた。

仕事ぶりもよく知っている人たちなので納得の人事なのだが

いよいよ女性が活躍できる時代になったのだなぁと実感する。

新卒新人研修の際、アンケートに「どれだけ出世したいか」という項目があり

わたしは「できることなら課長」と書いた記憶がある。

どんなに頑張っても女性に肩書きが与えられるはずがないと思っていたからだ。

食を提供する会社でありながら、栄養士の業務は理解されず

使い捨てのような扱いを受けているようにも思えるだけに

今回の人事は頑張れば評価されるケースもあることにちょっと希望が見えてきた。

かといって、わたしはマネージャーという肩書きにはあまり興味がない。

マネージャーになりたいわけではなく、ずっと「栄養士」でありたいのだ。

転籍してから献立作成のデスクワークを続けて1ヶ月になる。

献立作成は重要な業務だが、ここにいると喫食者の顔や声が届かず

現場での反響や手ごたえを感じることができない。

生の声を聞いて初めて献立の修正ができる。

お客さまとのやりとりが、この業務の醍醐味でもある。

 

研修で、独立し会社を興した栄養士の話を聞いたときのこと。

彼女は「健康な人」を対象とした仕事をしたいと思ったという。

わたしにはこのことばがまさに「目からうろこ」であった。

資格を取得した栄養士のほとんどは、病院業務を希望する。

栄養の知識を生かして病気から人を救ってあげたいと思うからだ。

病院で働くことは栄養士にとってステイタスとなる。

しかし実際栄養指導を行うことができる栄養士はほんの一握りで

ほとんどが厨房での調理業務に追われ、こんなはずではなかったと落胆する。

しかも同じ栄養士でありながら、事業所給食をばかにしている風潮があり委託会社となるとさらに評価は低い。

統括している部署で働くことだけが偉いわけではないのに、肩書きとか職級とかでしか人を評価できなかったり

現場を嫌い事務だけを望む考え方の栄養士が多いこともたぶん現実なのだろう。

今年4月から特定保健指導がスタートした。

健康な人が健康であり続けるために、社員食堂が担う責任は大きくなる。

だからこそ、わたしは最前線で「栄養士であること」にこだわりたいのだ。

2008年4月2日

彩り

週末に新居で必要なものを買いに出かけた家電ショップで

ミスチルの「彩り」が流れていた。

特に大ファンなわけでもないが、今のわたしにとってのベストソングである。

 

ただ目の前に並べられた仕事を手際よくこなしてく
コーヒーを相棒にして
いいさ 誰が褒めるでもないけど
小さなプライドをこの胸に 勲章みたいにつけて
僕のした単純作業が この世界をまわりまわって
まだ出会ったこともない人の笑い声を作ってゆく
そんな些細な生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 少ないけど 赤 黄色 緑

 

受託した新規営業所が無事にオープンできるように献立を修正し

ただひたすら原価計算する単調な毎日の業務。

制限の多いなかで、満足のいく献立にならない。

それはクレームに直結するので、更にストレスが溜まる。

開設準備室に配属されたとはいえ、どこかまだ「お客さま」のような扱いで

どの程度自己主張していいものかと探りを入れている自分にも苛立つ。

今までは自分で自分のすべきことがわかっていて、計画を立てて実行できていたのに

今は何をするのかいちいちお伺いをたてなくてはならないことが歯がゆい。

なんだかわたしらしくない。

 

なんてことのない作業がまわりまわりまわりまわって
今 僕の目の前の人の笑い顔を作っていく
そんな確かな生き甲斐が 日常に彩りを加える
モノクロの僕の毎日に 頬が染まる 温かなピンク
増やしていく きれいな彩り

 

今日から新しく応援に来た栄養士さんは、わたしと同じ肩書きを持つベテランだが

挨拶をしたところ、わたしと仕事を一緒にできることを楽しみにして来たと言われた。

期待を裏切らないような仕事をしたいと思う。

この歌は、わたしにとって自己啓発のための応援ソングなのだ。

2008年3月18日

平凡なことを非凡にやりぬけ

来週の引越し荷物をまとめていると、父が出版した本が出てきた。

父にとって最後となった会社で毎月発行していた原稿をまとめたものだ。

この本が出版されたころは、まだ子育てしていた主婦のわたしには

読んでも内容をちゃんと理解することができなかったのだが

父がいた会社の中で働くようになって

今の自分が置かれている立場と照らし合わせてみると、よく理解できる。

 

「人は仕事を通じて成長しそれにつれて企業も成長し優良企業に育っていく」

 

これが、父が追い求めた夢であり、信念であった。

気づいたことはすぐメモをし、やらなくてはならないことを明確にしておく。

それらに優先順位をつけ整理し、具体的なスケジュールを立てる。

これはきわめて常識的な行動であり、平凡な活動である。

しかしこの平凡なことが実は簡単にできない難しいことだったりする。

世の中にはものごとを要領よく処理する妙薬はない。

平凡な当たり前のことをやりぬくしかない。

「平凡なことを非凡にやりぬけ」というのが、父の座右の銘なのだ。

子供の頃は父の仕事がどんなものかわからなかったし

自動車会社の部長から、台湾へ技術顧問団団長として出向し

その後は販売会社の社長、地元に戻って子会社の専務、

最後の会社になった孫会社の社長となったのも、父の運の強さだと思っていたが

やるべきことをやった者だけが獲得できる勲章なのだと、今は思う。

職種こそ違え、この信念はどんな仕事にも共通のものではないか。

そんなことを考えながら、そっと荷物に父の本を入れた。

2008年3月9日

最終日

事務所で仕事をするのも、今日が最後。

昨日までにあわただしく4月の献立作成を終わらせてあったので、今日は営業所に挨拶回りに出かけた。

当時お世話になったクライアント先の方々のところにも伺い転勤の報告とお礼を済ませることができた。

新卒で入社して以来、途中転職したり育児期間があったりはしたが

この会社はまさにわたしの人生の一部だった。

笑ったり泣いたり怒ったりしている昔のわたしが、あちらこちらに今もいるようで

なんとも言いようのない寂しさがこみあげてくる。

 

全営業所の所長からのお餞別もいただいた。

本社のSさんからはフラワーアレンジメント。

事務所からは「きっとこれが一番だよね」と、タバコ3カートン。

Eさんからいただいたプレゼントの中にもタバコ1カートン。

Wさんからいただいたプレゼントの中には携帯灰皿。

みんなどれだけわたしがヘビースモーカーだと思っているのか(笑)

毎週末には帰ってくるので、もう会えないわけでもないのに

こんなにも励まされ送り出してもらえることがありがたい。

いい同僚に恵まれ楽しく充実した仕事をすることができたと思う。

2008年2月29日

ターニングポイント

「以前転勤してもいいって言ってたことは、まだ生きてる?」 と、マネージャーに尋ねられたのが先週のこと。

娘が進学して一人暮らしを始めたことが心配でいっしょに住めるのなら転勤してもいいと何度も伝えていたのだが

当時は「そんな家庭の事情で転勤などさせられない」と、まともに取り合ってもらえずにいた。

ところが、コンペで100箇所ほど営業所が増えることで人員確保のためににわかに転勤話が浮上したようだ。

マネージャーの話では、まずオープン準備のためのスタッフとして本社に召集され

その後はたぶん京浜地区のどこかの営業所就きでATSに任命されるとのこと。

別の支社への転籍となるようだ。

「えー!?一緒に住むと自由がなくなっちゃうじゃん・・・ そろそろ子離れしたら?」とやんわり娘には拒否され

けいちゃんにも「ずっと一人暮らしは肉体的にも精神的にもちょっと・・・」と、2人揃って難色を示したうえに

会社側でも組織図さえまだ決定していないらしく

家族を納得させるだけの具体的な事柄がほとんどない状態でどう返事をしていいのかさらに悩むことになった。

しかし、この先こんなチャンスはたぶんないかもしれない。

これを断ることで後に後悔するかもしれない。

そんなわたしの性格をよくわかっているので、結局けいちゃんがいくつか条件を出すことで、了解してくれた。

わがままをきいてくれてありがとう。

 

浜松の営業所で会議に出席するため、マネージャーと出かけた。

会議の最後にわたしが異動になることを告げ挨拶をするためだ。

その後、3月に入社する栄養士が入社手続きに来る事になっていて

急遽3月1日、3日に引継ぎをすることが決まった。

つまりわたしは、3月4日には営業推進に転籍となり

いよいよプロジェクトチームに加わるために本社勤務となるのだ。

 

2007年元日の日記に

わたしは父が29歳のときに産まれ、そしてわたしも29歳で母となった。
父はわたしが大学3年になる年に、技術指導顧問団の団長に任命され
長年勤めていた会社を一旦退職するかたちで、数年間台湾に赴任した。
わたしの会社は、来年会社の存亡をかけた大きなコンペを控えている。
その結果次第ではわたしにも父と同じような転機が訪れるのではないかと思う。

と、書いた。

まさしくその転機が訪れたのだ。

それも父と同じ年齢でというところに、何か因縁めいたものを感じる。

クライアント先の担当者の長は、実はわたしの小学校時代の家庭教師なのだが

彼に転勤の話をすると、驚きながらも

「いわゆるキャリアウーマンとして生きていくんだね。 仕事に対する意識はお父さん譲りなんだな、きっと。」

と、教え子の成長をいっしょに喜んでくれた。

 

四十にして惑はず 五十にして天命を知る

たとえ遅咲きであっても、このチャンスを生かしていきたいと思う。

2008年2月22日

新しい家族

地元の成人式に出席はしないものの、昨日から娘が帰省している。

このところずっと我が家では「猫を飼いたいねぇ」という話題があがっていて

娘にいたっては「猫がいたら自宅から通ってもいい」とまで言う始末。

まぁ体力がないから自宅から通学は無理だとは思うのだが。

いったいどのくらい費用がかかって、どんな種類が店頭にいるのか、

とりあえず調査を兼ねてせなを買ったペットショップに向かった。

最近ペットショップには犬はたくさんいるけれど

猫がゲージにいることはほとんどなく、今日もたぶんいないだろうと思っていた。

ところが。

生後6ヶ月のちょっと大きくなってしまったアメショーと

生後2ヶ月過ぎのメインクーン3匹が、運悪く?ゲージの中にいたのだ。

それもアメショーに比べてメインクーンはかなり格安な値段で・・・

せなのとき同様つい顔だけで選んでしまい、我が家にお持ち帰りとなった。

「ティファ」と命名。

娘の成人のお祝いのプレゼントとなったわけで。

2008年1月13日