形見分け

会議用に何か母のスーツで着れるものはないかな~と実家に寄ったのですが

・・・忘れていましたよ、母の服は「普通」ではないことを(笑)

義姉はスレンダーな人なので、母の服はちょっと大きくて

わたしにはちょっと窮屈ではあるものの着れないこともないのですが

とにかく、母の服は派手なのです。

パーティーとか謝恩会とかならいいのでしょうが、会議にはちょっと・・・

この画像ではわからないかもですが、金糸やら金ボタンやらできんきら。

ニットもたくさんあっても、フェミニンなのにビジューてんこ盛り(笑)

しかも、母の服を着るとめちゃ年相応になってしまって、そこは避けたいところ。

でも義姉がこれもあれもそれも持って行けと、たくさん持たせてくれました。

ついでにバッグも。

いつかこれらの服が陽の目を見ることがあるのかどうかは不明ですが

ふっとお腹をへこまさなくても着れるように準備だけはしておきましょう。

2019年12月10日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

ネタふり

昨夜は娘のアパートに泊り

今朝は舞台を観に行く娘を見送って、洗濯をしてから自宅に戻ってきました。

夜になって、帰宅した娘から電話がかかってきて

「驚いたことにね、バッグに鍵がない(笑)」

・・・帰ってくれば?

というわけで、急遽帰省してきたぽんこつな娘がここにいます。

まぁ、わたしが玄関で見送ってドアを閉めたため

娘は鍵をかけるということをしなかったので、忘れたことさえ気づいていなかったわけで

不可抗力と言えばそれまでなのですが

わたしのブログネタを提供しただけだそうですよ。

2019年12月8日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

竜の巣

母の葬儀は、あいにくの雨。

もう入院した時点で、母は自宅に帰れないと覚悟はできていた。

母は着物を着ることが多かったので、いつも髪をアップしていて

70歳を過ぎても赤いハイヒールを履くようなお洒落な人だった。

病院にいる母は髪をばっさり切られて、痴呆もすすみ

わたしの知っている母はそこにはおらず、老いた母を受け入れることがどうしてもできなかった。

亡くなったことは悲しいけれど

でも、もう苦しまなくてもいいし、義姉にも世話をかけなくてもいいし

何よりも自宅に帰ってこられてよかったと思う気持ちが強くて

泣けないわたしの代わりに雨が降っているのだと思った。

葬儀、祓いの膳が終わった頃に急に外が明るくなって

美しい富士山が姿を現した。

まるで、山頂にかかる雲が竜の巣のようで「ラピュタは本当にあったんだー!」と。

母が天空の世界に旅立つために現れたかのように感じたヲタな娘で

何だかすみません・・・という感じ。

2019年12月2日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

1枚の写真

葬儀前のナレーション用に故人とのエピソードを提出することになっていて

いろいろ家族と話し合っていたのだけれど

わたしの話は最終的にネガティブなものになるので使えないと義姉が笑う。

母は洋裁や編み物が好きで、子供の頃のわたしの服はほぼ母の手作りだった。

従姉妹たちは羨ましがっていたが、わたしは母の服が嫌いだった。

ひらひらとレースやフリルがついた可愛らしい服ばかりで

その服を着て走り回っているわたしを見ては

必ず周囲の大人が「お兄ちゃんと男女逆に生まれてくればよかったのにね」と言う。

新しい服を見るたびに、あぁ、また服は可愛いのにって笑われるんだなぁと

おとなしい兄と比較されるのが本当に嫌だった。

祖母は「長男で後継ぎだから」と兄を溺愛していたので

子供ながらに同じ内孫なのだから平等に扱ってほしいと訴えたこともある。

どうにかして認めてもらいたいという思いもあって

たぶん「女だからという理由で負けたくない」という気持ちが徐々に大きくなり

何でも一人でできるようになって自分を笑う大人を見返したいと思っていた。

それには、あの母のフリフリな服は邪魔でしかなかった。

小学校の修学旅行でも、すでに母は新しい生地で作る気満々だったらしいが

どうしても普通の既製服が欲しいと、デパートで自分好みの服を買ってもらった。

母は、同級生と同じ服に不満そうだったが、わたしは満足していた。

今考えると、物心ついてからあまり母に甘えたこともないように思う。

弱みを見せることも「できない」と言うことも本当に嫌だった。

「できて当たり前」で、褒められたこともない。

わたしがちょっと道から外れそうになると、ちくっと釘を刺され

それが反発力となって自ら軌道修正をする。

母は気が強いわたしの性格をよく理解していて、遠隔操作をしていたようだ。

まだ母が元気だった頃、わたしをどういう子に育てたかったのか聞いたことがある。

「普通に結婚して、普通に妻、母親になってほしい」と思っていたそうだ。

「普通」を強調するあたり、きっとわたしは普通には見えていなかったのだろう。

妻で母なわたしが、当時は単身赴任をしていたのだから。

「でも、今の仕事や生活は充実していて楽しいのでしょ?」と笑う母に

願い通りにならなくて悪かったねと言うしかなかったが

男女平等と言われながらも社会に出るとやっぱり男性優先の現実に

ずっともがいてきたわたしにとっては、初めて母に褒められたと感じた一言だった。

アルバムにある1枚の写真。

2歳ぐらいのわたしが母の膝にちょこんと座り笑っている。

わたしはこの写真が一番好きだ。

この頃のまま、もっと素直に甘えられる子供であったなら

人生はまた別のものになっていたかもしれないけれど

信念を曲げず強く頑固で不器用な生き方しかできないわたしを否定しなかった母に感謝している。

お母さん、ありがとう。

あなたの娘は「生涯現役」をモットーに今でも不条理と戦っています。

2019年12月1日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

準備

通夜と葬儀の日程が決まって、事前にやることがてんこ盛り。

まずは、出社して訃報報告書の作成と提出。

午前中に仕事はだいたいのめどを立てて、午後から美容院を予約して

夕方から実家に行って・・・

遺族って、決めることがいっぱいで悲しんでいる暇もないものです。

そういえば、昨夜からご飯食べてないや。

思わぬところでダイエットとなりました。

2019年11月29日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

突然のことで

兄から昼過ぎに母が転院したというメールが届きました。

入院手続きの書類に捺印してほしいので実家に寄ってほしいとのこと。

仕事を終えてそろそろ実家に帰ろうとしていた頃に届いた2通目のメールは

「母危篤」

昨年11月末に脳出血で入院後、病院とリハビリセンターを行き来していた母は

2月のレントゲンでは肺はきれいだったのに

この数ヶ月で急激に異常が見られ、肺がんを疑われていました。

でももう高齢だし緩和治療しか方法はなく、体調も一進一退。

兄には後悔しないように見舞いに行けと促されていたけれど

痴呆が進み、わたしの顔も自分の名前さえも忘れてしまった母を見るのが辛くて

結局一度も見舞いに行きませんでした。

病室に入ると、すでに兄夫婦、姪夫婦がいて

わたしが到着したことを確認した医師が死亡宣告をしました。

11月28日 19時53分 母は87年の生涯を閉じたのでした。

2019年11月28日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

更新

ホームページビルダーを弄っていて更新したところ

投稿画面が英語になってしまって、使いにくいったらありゃしない。

ちっ。

2019年11月24日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

記念日

DSC_4628 10778

雪を纏った富士山は本当に美しいものです。

仕事は忙しくても、気分爽快。

そして、仕事で相模大野に出かけたけーちゃんから画像が届きました。

懐かしい。

7年間単身赴任をしていた時に住んでいたアパートです。

伊勢丹もなくなって、ずいぶん様変わりをしたんだろうなぁ・・・

 

そんな今日は、婚姻届けを出した入籍記念日です。

35年だって。

すごいねー。

2019年11月12日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

火事現場

DSC_4624

娘を送ってから会社に着くまで、通常は15分程度なのですが

会社の前の踏切まで来たら通行止めになっていて

遠回りして大渋滞の中、会社に着いたら1時間近くかかっていました。

焼け残った工場の解体が始まり、倒壊の恐れがあるため通行止めが続くようです。

毎日何気なく通勤しているけれど

たった300mくらいが通行止めになっただけでこんなに不便になるなんて・・・

1日駐車していただけでフロントガラスがぽつぽつと汚れてしまっていて

なんだかなぁ~という感じ。

2019年11月11日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん

火災

93420

マネージャーやクライアントからのメールで、事務所の向かい側の工場の火災を知りました。

わたしは朝から巡回で出かけていたので現場を見ることもなく

ほぼ通行止めで社内に入るのも困難だというのでそのまま直帰することにしました。

事務所の同僚に画像だけ送ってもらったのですが

めちゃ燃えてるじゃん!!

事務所にいたら、ずっと外に出て眺めていて仕事にならなかったのではないかと思われます。

 

災害が起こるたびに思うことは、全てが無くなってしまうということ。

先日の首里城の火災では収蔵されている宝物の3割が消失したそうですが

このブログが消えてしまったことさえ、いまだに腹が立つのに

写真やら思い出の品やら全てが消えてしまうのは、本当に辛いことです。

火災を出さないことが一番重要だと思うけれど

大切なものをいかに被害から防ぐかも考えていかないといけないのかもしれません。

2019年11月8日 | カテゴリー : blog | 投稿者 : つかちゃん