市立病院

日曜日の午後のこと、実家から電話。

「お兄ちゃんが、塀から落ちて怪我をしたから、来てくれる?」

あわてて実家に行くと、ちょうど救急車が出て行くところだった。

なんでも、庭の植木の剪定をしていてはしごからすべり落ち

そのさい足を塀にぶつけたときに「ポキッ」と音がしたのだという。

わたしが幼いころから毎年年2回実家には本職の植木屋さんが数日来ていた。

しかしその植木屋さんが代替わりをして忙しくなってしまったようで

ここ数年はシルバー派遣の人にやってもらっていたのだが

今年は申し込みに間に合わなかったようで、不器用な兄が朝から母と一緒に作業をしていたらしい。

兄の運動神経の無さには定評がある。

兄はいつもおとなしいいわゆる優等生タイプで「腕白坊主」という代名詞はむしろわたしのほうだった。

だから集まってきた近所の人たちも、心配しながらもみんな苦笑い。

落ちたときに変にかばうこともなく単純に落ちたのが幸いしたようだ。

ちょっと間違えたらすぐ近くに庭石もあったし、頭をぶつけなくてよかった。

 

救急医療センターで右大腿部骨折と診断され、そのまま市立病院へ搬送。

運の悪いことに、病院も業者も休みなので骨を止めるボルトも在庫がなく

第一医師が休みなので手術が来年の7日になってしまうのだと言う。

個人病院でもたぶん同じだろうということで

結局、筋肉を伸ばすための応急処置をして10日間放置となってしまった。

この病院は、以前わたしが勤めていたところで

食事は365日年中無休であるのに、医師が休みというのが納得できない。

救急で患者は次から次へと運ばれてくる。

怪我した日が悪かったですねぇと悪びれた様子も無く笑っている医師に

いくら医師不足だとしても、患者の要望に対して無理は無理だと融通が利かないのが

いかにもお役所仕事らしいと、あきれるばかりだ。

病院がすべて個人経営であったなら、まっさきにつぶれてしまうだろう。

患者のためを思ったらもっと努力するべきではないか?

すぐ手術ができる病院を調べるとか、ボルトを探す努力とか、何らかのアクションを起こした結果

やっぱり無理でした・・・みたいなことがなければ、患者側は納得できない。

市民病院の在り方が問われるように思えてならない。

2008年12月30日

使命

現在、国立スポーツ科学センターでは

チーム「ニッポン」マルチ・サポート事業専門スタッフを募集している。

おもしろそうな仕事で興味がないわけではないが

この分野にはまったく縁がないので、アクションの起こしようがない。

それに、現在正社員で安定した環境で働けているのに、ステイタスだけでは生きていけない。

わざわざ今より報酬の低い不安定な未知の世界に飛び込むほどの

若さもエネルギーもないというのが、実情か(苦笑)

たぶんスポーツ栄養にずっと関わっている高レベルな栄養士でなければぜったい無理な仕事だろう。

東京オリンピック開催時に選手村の献立に携わっていたエピソードを

大学時代の恩師が話してくださったことを思い出す。

「バイキングなので選手は自由に食べていたが

先進国の選手は自分が食べられるだけを皿に乗せるのに対して

当時貧困といわれていた国の選手は、山盛りにとり食べられなくて残す」

という話が、印象的だった。

「運動(トレーニング)」「栄養(食事)」「休養(睡眠)」を

バランスよくとることが、一流のアスリートといえる。

東京オリンピックの頃とは栄養に関する情報量も雲泥の差だろうがやはり「食べる」ことが重要である。

病院であろうと企業であろうとどんな職種にいても

アスリートに限らず、全ての人に「食育」を浸透させていくことが

栄養士の役割であることには変わりがない。

2008年12月28日

不況

「自動車全滅!」という文字につられ、週刊東洋経済を購入した。

わたしが自動車業界の経営悪化を憂いでみたところで何か変わるわけでもなく

経済誌を読んでもすべてを理解できるわけでもないのだが

アメリカがくしゃみするだけで日本が風邪を引くことぐらい想像はできる。

そして一番あおりをくうのが、わたしたちのような下々の者ということだ。

自動車関連企業の業績壊減度ランキングには

わたしの会社で給食を受託している企業が多く名前を連ねていた。

喫食者数も売り上げも下がっている現状をみても、かなり人員削減や減産をしているのがうかがえる。

お金に余裕のある人や、本当に車が好きな人をのぞき

わたしのまわりで新車を購入したという話を最近聞いたことがない。

毎回車検が近づくと買い換えていた我が家でさえ

もう車検を2回通しているのだから、いかに車が売れていないのかわかる。

「たった1人の70kg程度の肉体を運ぶのに 1.5t以上の車でエネルギーをたくさん消費している。

50世帯分のエネルギーを使ってたった1人の人間が移動するものが自動車だというのはばかげている。」

という一節があった。

さらに研究開発費上位を占める自動車メーカーなのに

車以外の技術移転が遅れ、新規事業を強化していないという指摘もあった。

将来性のある技術、たとえばロボット、次世代電池、バイオ資源など

社会を変える可能性がある優れた技術を生かすようになったら

日本経済の構造転換に大きな追い風が吹くだろうと締めくくっている。

自動車会社が自動車以外のものを作るという発想の転換が必要なのだろう。

なにはともあれ、こんな厳しくて寂しい状況を父はどんな思いであの世から見ているのだろうか。

2008年12月17日

信念

NHK大河ドラマ「篤姫」の最終回。

ドラマが始まる前には、宮﨑あおいが主役ってどうなの?って感じだったが

屈託のない笑顔と凛とした強さをうまく表現していて、毎回楽しく観ることができた。

何度かこの日記にも取り上げようと思いつつ、最終回にまとめて・・・

と思っていたのだが、いざ書こうと思うとうまくまとめられない。

胸が詰まるシーンは何度もあったが

やはり一番心に残るシーンは、乳母菊本のセリフだ。

「女の道は一本道。引き返すのは恥でございます。」

自らの運命を知った大奥が、篤姫を呼び寄せ

篤姫もまた大奥を閉じる役割が自分に与えられた天命だったのだと悟る。

激動の幕末にあって信念を貫いた強さは、この「一本道」に集約されている。

 

女性ばかりの集団の中で、さまざまなことをまとめていくことの難しさは大奥でなくても理解できる。

本当に面倒くさい。

ものごとを冷静に理性でとらえず、感情だけで行動する。

逆に頭でっかちで融通が利かずトラブルの原因になることもある。

あるいは意志を持たず周囲に流される。

篤姫の生母が双方の意見を聞いて判断せよとアドバイスするシーンがあったが

双方から聞いても、結局は自分の信念を信じるしかないことも多い。

篤姫がそうであったように、わたしも親の生き様をみて影響を受けたことがいくつかある。

果たして、わたしは娘にも何らかの影響を与えているのだろうか。

何か伝えられるだけの強い信念を持っているのだろうか。

人は1人では生きられない。

新しい環境の中であっても多くの人と関わらなくてはならない。

そして自分にしかできない「何か」が必ずあるのだ。

たくましく大きく成長してほしいと願っている。

2008年12月14日

飲み会

金曜日のこと。

大学の飲み会があるからご飯はいらないというので、1人でもそもそ夕食。

すっかりくつろいでいると、娘から電話が鳴った。

「おかあさん、まだ会社?」

「もう家にいるけど?」

「あのねー、先生がおかあさんは来ないの?って言ってるんだけど・・・」

「マジで?」

 

先生とは、娘の大学で映像を教えて下さっているプロの映像カメラマン。

大学生の飲み会に親が参加するのもどうかと思ったのだが

娘も嫌がっているわけではなさそうだったので

あつかましくも、娘の顔を立てるべく出かけていった。

mixiではときどき先生のところにこっそり覗きにいっていたのだけれど

実際お会いして話をするのは初めてだ。

何を話していいのか何も考えずに行ったので、なんともちぐはぐな会話をしていたに違いない。

もっと映像の話とか聞けばよかったなぁ・・・と今更ながら後悔している。

娘の大学生活は、いつも遅刻ぎりぎりで

課題に追われ徹夜作業が続いている大変なイメージしかなくて

体力のない娘には相模原の寒さも身にこたえるだろうと思っていた。

大学生になっても、一緒に遊ぶのは高校時代の友人ばかりで

それはまるで姉妹のような関係なので悪いわけではないのだが

もっと大学でたくさん友達を作ってほしいと思っていたので

親の前では見せないような笑顔で友達や先輩に囲まれてちょこんと座っている

楽しそうな姿を見られただけでもよかった。

2008年11月23日

感謝

創立100周年記念式典があり、大学時代のクラス会が開催された。

おいしい懐石料理をいただきながら、久しぶりに友人と楽しい時間を過ごした。

高校時代の同窓会で当時の話題で盛り上がっても、わたしは案外そのエピソードを知らないことが多いのだが

実は、大学時代も不明なことが多いことに気づかされた。

単位が取れなければ管理栄養士は取得できなかったのでたぶん大学にはほとんど休まずに通っていたはずだが

高校といい大学といい、わたしっていったい・・・?(笑)

「どこか大人びた雰囲気だったよね」 「いや、ただ冷めていただけじゃない?」と、口々に友人に言われて

細かいことを憶えていないおおざっぱな性格というのもあるが、たぶん群れていなかったせいなのだろうと思った。

自分から積極的に話しかけたり、仲間に加わることもなく、一人でいることもさほど気にならなかった。

当時は気がおける友人が数人いればそれでよかった。

それでもそんなマイペースなわたしを、高校時代の友人も大学時代の友人も仲間として迎え入れてくれる。

わたしにとって高校時代の友人は、ほっとできる居心地のいい場所。

大学時代の友人は、刺激を与えて元気にしてくれるパワーの源。

 

ふと、大学に入学したばかりの頃送られた父からの手紙を思い出した。

「大学で出会う友達は、一生の友となる」

奇しくも、今日は父の命日。

父の勧めでなんとなく選んだ専攻がきっかけで

たくさんのすばらしい友人に恵まれ、その資格を生かして今も充実した仕事を続けている。

おとうさん、ありがとう。

2008年11月7日

夢・遊び・感動

結婚して最初の誕生日にもらったプレゼントは、ファミコンだった。

大学時代はテーブルゲームに熱中した世代なので

家事もそこそこに、毎日コントローラでタコができるほど遊んだ。

その後、スーファミ、64、プレステ、キューブ、ゲームボーイなど

子供のためにと言いつつ、自分が楽しんでいたように思う。

スーパーマリオの裏面までいったのに固まってしまったりとか

頭の中でずっとコロブチカが流れていたり

闇の世界への行き方がわからなくて朝になってしまったり

目が覚めたらメルトダウンしていたり

2台を駆使して100匹集めたり

娘の同級生の男の子たちとも、対等に話しができていた。

「ゲーム機はおかあさんのもの」とわたしの隣で見ているだけだった娘が

いつのまにか簡単にクリアしていくようになっていった。

 

今日は就職セミナーに出かけていった。

大学での授業の中で、自分が一番好きなことが何なのか次第に明確になっていったようだ。

最初のエントリーが、第一希望の会社らしい。

そこからBirthday Mailが届いていた。

粋なことをする会社だ。

セミナーは非常に楽しかったらしい。

母親の影響のマンガやゲームに、父親譲りのセンスが加わって形成された個性で

自分のやってみたいことが叶えられる仕事に就けることができたら

親として何よりもうれしい。

娘の笑顔を見ることが至福のときなのだ。

 

21歳のお誕生日おめでとう。

あなたの夢が叶いますように・・・

2008年11月5日

Expressions

けいちゃんが誕生日プレゼントにCDを買ってくれた。

今週末、娘の大学祭なので、そのときに持ってきてくれるらしい。

メロディと共に、そのときの情景が鮮やかによみがえってくることは

誰もが経験していることだろう。

わたしが好きな女性アーティストはやはり70~80年代に活躍した人が多く

尾崎亜美、荒井由美、EPO、中島みゆきなどがいるが

たぶん一番心に残っているアーティストといえば、竹内まりやだと思う。

結婚式では、新郎新婦自ら「ドリーム・オブ・ユー」を歌った。

わたしは式当日、両親に「いってきまーす」と言いながらあわただしく家を出てきてしまった。

最後に花束贈呈はしたが、御礼の手紙を読むでもなくこの歌を歌った。

両親への感謝の気持ちは結局伝えることのないまま現在に至る。

父にはもうその気持ちを伝える術もない。

この曲を聴くたびに、ちくっと胸が痛くなる。

逆に一番元気付けられるのは、「元気を出して」という曲。

彼女が好きだった外国の女優が離婚したことを知り、作った応援歌だそうだ。

「涙など見せない強気なあなたを」で始まるこの歌は苦しかった時期のわたしを勇気付けてくれた。

コンプリート・ベストアルバム「Expressions」のキャッチコピーのとおり

人生のところどころに彼女がいて、彼女の歌の中にはわたしがいた。

 

「人生はあなたが思うほど悪くない 早く元気出してその笑顔を見せて」

 

トータルで考えると

周囲のバックアップに支えられて、自分が思うとおりに生きていて

いい人生を送っていると思う。

実年齢を言うと驚かれるのも、そんな生き方が幸いしているのだろうか?

2008年10月22日

つけナポリタン

TVチャンピオンの後番組の「チャンピオンズ」の再放送をBS放送でやっていた。

わたしは先週16日にTV東京で既に見ていたのだが

これに寂れた商店街を活性化する相談があって、なんとそこは地元の街。

隣の富士宮市の「富士宮やきそば」に負けないような名物を作って商店に活気を取り戻す!

人をよぶ名物になる新たなB級グル麺を作る!というのが今回の依頼で

「味噌焼きそば」と「つけナポリタン」から投票で決めることになった。

勝負は「つけナポリタン」に軍配が上がった。

わたしの住む町は、8歳のときに3つの市町が合併して誕生した。

そのため1つの市なのに3つの商店街が存在しているうえに

それぞれが点在しているため、どの商店街も活気があるとはいえない。

大型店舗は郊外に乱立し、車がなければ生活が成り立たないのだ。

この番組収録は、「紙まつり」のイベント内で行われたようだが

まず紙まつりが開催されることさえ情報が入ってこなかった。

同じ市内なのに、それほど交流がないといえる。

それと、「富士宮焼きそば学会」の会長の話によると

もともと地元に根付いた文化、食材でなければ町おこしは成功しないらしい。

「つけナポリタン」はレシピを公開していくつかの店舗で食べられるようだが

はたして本当にこれが起爆剤となるのかどうか・・・?

2008年10月19日

安全運転

なかなか行くことができなかった免許更新手続きに出かけ、無事ゴールド免許を取得してきた。

思い返せば、2000年9月28日

ゴールド免許取得後たった1週間で追突事故を起こして以来、実に8年ぶりのことである。

今は週末に運転する程度だが、さらに事故を起こさないように気をつけようと思った。

 

事故といえば。

日曜日に実家に用事があって出かけると、石塀にブルーシートがかけてありみごとに塀が壊れていた。

実家の前は車がようやくすれ違えるほどの細い市道なのだが

国道1号線への抜け道になっているため、けっこう車の往来が激しい。

母の話によると、国道沿いにある結婚式場の車がぶつかって壊したそうだ。

「石塀には途中までしか支柱が入っていないから、地震で崩れるだろう」

と、生前父が笑いながらよく言っていたことを思い出す。

本当に見事に支柱のない上部だけが崩れて、植木がむき出しになっている。

門柱が土台から傾いているので衝突のすさまじさがうかがえる。

弁償するから警察には黙っていて欲しいと言われたそうだが、母から連絡を受けた兄が通報し

パトカーやら漏れたオイルのために消防車も出動するという大事になったらしい。

壊れた石塀を元通りにしてくれたらそれでいいと伝えてあるのだが

実家の石塀は「伊豆石」でできており、これがなかなか見つからなくて放置されたままだという。

いったいいつの事故なのかとたずねると、もう1ヶ月ほど前のこと。

わたしも1ヶ月実家に足を運んでいなかったんだなぁと苦笑い。

それにしても、冠婚葬祭を扱う全国区の企業なのだから早く直してもらいたいものだ。

2008年9月30日