娘へ

今日から大人だと言われても実感はないかもしれないけど、

できる限り自己責任がとれるよう今まで以上に慎重な言動を心掛けること。

大人になると時間の経ち方が早いから、後悔のないように一日一日を大切にね。

二十歳の誕生日おめでとうバースデー

いつまでもその名に恥じない自慢の娘でありますように。

 

娘がこの世に誕生したのは、20年前の1987年11月5日木曜日 13時43分。

ちょうど生まれた時刻にあわせて、携帯にお祝いメールを送り

この日記も入力した。

本当にあっという間の20年だったように思う。

やわらかな小さな身体を初めて抱きしめたときには、わたしは一生この子を守ろうと誓ったけれど

いつのまにか娘はわたしの手を離して、少しずつ少しずつ独立するために歩んでいる。

誕生日が来るたびに、何度も繰り返し伝えてきたことだけど

わたしの娘に生まれてきてくれてありがとう。

2007年11月5日

23th

せっかくの文化祭だというのに、朝から大雨。

この時期の季節はずれの台風は本当に異常気象としか言いようがない。

きれいにディスプレイされたポスターも、ステージも、模擬店も、展示物も

雨に打たれてかなり悲惨な状況になっていた。

当然、校舎を移動するわたしたちも

雨に濡れ、水溜りに足をとられ、突風に傘を壊され、さらに悲惨な状況。

まぁ、娘のために出かけたのだからそれはそれでよしとすべしなのだろうけど

連絡がなく午前中待たされたうえに雨の中出かけさせられて

おみやげを持参させられて、さほどおいしくないカレーを食べさせられ

夕食もごちそうされることもなく帰された「お兄ちゃん」は本当に気の毒としかいいようがない。

でも、帰り道にまた寄り道してなにやら買い込んだらしいけど・・・ぷぷっ

確か前回ららぽーとの帰りも、寄り道→買い物ってパターンだったような?

そんな「お兄ちゃん」が、我が家はみんな大好きだったりするんだな。

 

台風の影響で、泊まりに来るはずだった友人が来られないというので

本当は昨夜帰る予定だったのだが、急遽連泊することになった。

わざわざ豪雨の中帰ることもないので、まあいいかと思ったのだが

遅い夕食を食べに出かけた時点では、すでに外は雨もやんでいた。

今朝は、友人と出かけた娘を見送ってから

部屋の中を片付け、洗濯をし、買い物に出かけ食料品を冷蔵庫に詰め込み帰路に。

コーヒータイムのために海老名SAに停まったところで、娘から電話。

「財布を落としたーーーー!」

先週は買ったばかりのバス定期を落としたばかりなのに、今度は財布かい・・・(苦笑)

今朝おろした現金は、最悪の場合あきらめなくてはならないが

財布の中には、学生証、キャッシュカード、保険証カードが入っている。

見つからなかったら、再発行手続きをしなくてはならないし

通帳は自宅に置いてあるので、何も手持ちのない娘をほっておくわけにもいかず

厚木ICで降り、大学に引き返すことになった。

定期入れの時は、大学の図書館で見つかったのだが

今回は、学生だけでなく不特定多数の人が出入りしているし

拾得物として届くことは難しいだろうと思っていた。

そろそろあきらめて帰ろうかと、落とした場所である食堂を出ようとしたが

「もしかしたら、学生証の科名を見て、研究室に届けてくれたかも」

と言い出し、飛び出していった。

数分後。

「あったー!! 先生が持ってたー!!」

たぶんここの大学の学生が拾って、研究室に届けてくれたのだろう。

娘が研究室に向かう後姿を、わたしは半ばあきらめムードで見送ったのだが

世の中捨てたもんじゃないねと、ちょっと反省。

そんなこんなで、娘にふりまわされっぱなしだった23回目の結婚記念日。

2007年10月28日

特別な日

生まれる時ひとり 最期もまたひとり
だから生きてるあいだだけは
小さなぬくもりや ふとした優しさを
求めずにはいられない
by 竹内まりや

 

誕生日が来るたびに、去年は何をしていたのかな? と過去の日記を読み返す。

だけど、特別な日であっても

日常生活はさほどサプライズな出来事はなく、毎年淡々と過ぎていくだけだ。

母はかなりの微弱陣痛で、2週間ほど病院で苦しんだ末の出産だった。

医師から万が一のときにはどうするかと聞かれた父は

「すでに上に男の子がいるので、どちらか一人だけだというのなら母親を優先してください」

と答えたのだという。

産まれたわたしの首にはへその緒が何重にも巻かれていて、重度の黄疸。

母が退院してからも、ほとんど泣かず、飲まず、ただ眠っているので

なかなか退院させてもらえなかったそうだ。

これは数年前に書いた日記の抜粋。

「お前は、もしかしたらこの世には存在しなかったかもしれない。

だけど極限まで2人とも助かるようにしてほしいと頼んだから生まれてこれたんだぞ。」

と、誕生日がくるたびに笑いながら恩ぎせがましく話していた父を思い出す。

気づけばもう今年は40代最後の年で

今まで父の期待をどれだけ叶えてあげられたかわからないけれど

せっかく助けてもらった生命なのだから、もっと後悔のない充実した日々を送っていきたいと思う。

 

そんなふうに40代の締めくくりを有意義なものにしようと誓ったのに

実家に寄ったとき「わたしになにか言う言葉はない?」と聞いたら

母に真顔で「今日って、なに?」と言われたので、それは親としてどうよ?とマジ凹んだ(苦笑)

誇れるのは、近くの身内より遠くの友人ってか?(*^▽^*)

たくさんのお祝いメール、どうもありがとう!

2007年9月14日

研修

24・25日と1泊で研修が行なわれ、50人ほどの栄養士が参加した。

20代~30代前半ぐらいの若い栄養士ばかりだ。

ぐるりと見渡しても、わたしより確実に年齢が上なのは2人しかおらず

当然3人がつるんで行動を共にすることが多かった。

たまたま3人とも喫煙者なので

休憩時間はロビーに出て灰皿をかこむのだがすっかりそこが定位置となり

他の栄養士は近寄らない聖域となっていた。

確かにアダルトな3人が足組んでタバコ喫っていたら恐いと思う(苦笑)

会社としても、今後栄養指導を商品化していくためには

若い栄養士を育てていかなくてはならないのだから

いまさらわたしたちが参加しなくてもいいだろうと思うのだが

さしずめわたしたちは彼女たちのお目付け役のような役割なのだろう。

 

そもそもわたしは若い人が苦手だ。

ただでさえ「黙っていると恐い」というイメージが定着しているのに

親子ほど歳が離れてしまうと、教えるというより説教じみてしまい

煙たがられるのではないかと思い、つい遠慮してしまう。

もともとわたしは自分から率先して話しかけるタイプではないので

そっけない態度を察するのか、相手も話しかけにくいのだろう。

気を使っているのがわかる。

「頼れる先輩」というより「近寄りがたい目上の人」というところか。

講義はグループワークが中心なので、嫌でも若い人とチームを組む。

向学心に燃える若さに圧倒されるのか、かなり居心地が悪い。

警戒心のない笑顔がなんともまぶしすぎて、照れくさくなってしまうのだ。

部屋割りも、同じ支社内の後輩とのツインだったが

入社3年目になる彼女とは、プライベートな話をしたことがなかった。

それぞれが個々に独立した仕事をしているので

相談をされたこともなかったし、何かアドバイスをしてあげたこともない。

頼りにされているという意識もなかった。

ところが、いろいろ話をしてみると

彼女が支社内で尊敬できる唯一の栄養士が、わたしだと言うのだ。

自己紹介の時間のときも、次の人を指名する方法だったのだが

最初にペアを組んだ他支社の子から思いがけず指名を受け

「貴重な話をたくさん教えてくださった素敵な先輩」と紹介された。

 

人というのは、実におもしろい。

コミュニケーションが深まると自然と信頼関係が生まれる。

相手のために何かしてあげようという気持ちが生まれる。

入社しても教えてくれる先輩がおらず1人で頑張ってきた彼女たちには

わたしのような者でも必要だと思う瞬間があるのだ。

「お目付け役」ではなく、常に「頼もしい先駆者」でありたいと思う。

アダルト組を参加させた部長の狙いは、そんなところだったのか。

2007年8月26日

母校

27年ぶりに訪れた街は、全く知らない都市に変貌していた。

変わらないのは駅前の交番の位置と麹町郵便局だけで

街路樹はビルの4Fにまで届きそうな高さになり、枝は歩道の上を覆い

授業を抜け出して通った店も、テーブルゲームに興じた喫茶店もどこにあったのかさえ記憶の彼方だ。

大学の校舎でさえ当時の面影はなく近代的なビルに建て替えられていた。

 

今日は、出身大学の栄養指導研究室主催の会に参加した。

紫陽花の咲く季節に行なわれることから「あじさい会」というのだが

実はわたしは今まで、会の存在すら知らず

卒論ゼミで一番お世話になったにもかかわらず

卒業後一度も大学に足を踏み入れたことのない失礼極まりない卒業生だ。

にもかかわらず

教授も、当時の助手の先生もわたしを憶えていてくださってさらに冷や汗をかくこととなった。

会場は、集団給食実習を行なう5Fの教室で

完全ドライシステムの最新設備の厨房を備えており

今の学生は非常に恵まれた環境で勉強が出来ることがうらやましい。

当時は暗い地下の老朽化した厨房だった。

しかし教授は、その恵まれた環境であるがゆえに今の学生は就職先の環境が悪いと対応ができないと嘆く。

昔の学生のほうが応用力がきいたらしい。

 

特定保健指導の活動が来年度から始まることで栄養士には追い風が吹いてきている。

このチャンスを生かすことで新たな世界が開けていくことだろう。

参加者は、先輩も後輩もそれぞれが第一線で働くプロであり

言葉のひとつひとつに自信が満ち溢れていて、わたしのモチベーションを上げるには充分であった。

2007年7月7日

Victory!

初日
けいちゃんを迎えに駅まで行こうとしたら気持ちが悪いことに気づく。
胃の辺りがムカムカし、軽い吐き気を感じた。
原因は・・・空腹。
すぐ食べられるものを!というわけで、ぱぱっとネギトロ丼を作ってガツガツ食べる。
この時点で、すでに「痩せよう!」という強い意志があるのか疑問である。
だいたい痩せたいのなら夕食を21時過ぎに食べることなどもってのほかだというのに。
明日は絶対やろうと言いつつ、購入してからすでに3週間。
5000円のキャッシュバックも無効になってしまっている。
TVを見ながらのエクササイズはいちいち手足の位置や動きを確認しなくてはならず不便だ。
第一、ビリーの言う筋肉の名称がどこなのかわからない。
それでもなんとか呼吸が停止することも意識が飛ぶこともなく終了。
久しぶりに運動で汗をかいたような気がする。
お風呂に入りさっぱりしたところで、筋肉の名称を検索したら
とんでもないマッチョな微妙なイラストが出てきて、大笑いした。
入隊して数週間たったらわたしのお腹もアイスモナカのように、ぼこぼこになれるのだろうか?
ウェストが自己主張するようになるのだろうか?
すでに、上腕二頭筋、腹直筋、大腿四頭筋が痛い。
なぜかキーを打つ指も痛い。
当日に筋肉痛が出るのは、若いってことだと思い込み、明日から継続することを目標にがんばろう。

2日目
7日間集中ダイエットといってもそれだけで自分が望む体型になれるとは思っていない。
プログラムを繰り返し行なうことで、徐々に効果が出るのだろう。
それでもなぜか即効性を期待しててしまう何かがある。
画面からこちらに話しかけるビリーに「そんなこと、無理!」と叫びながらつられて動いてしまうのだ。
ただし下階の住人に不審がられるのではないかと思うとジャンプすることにはちょっと躊躇する。
同じ運動をしているのに筋肉痛の部位には個人差があるようだ。
わたしは腕やお腹が痛いのだが、けいちゃんはももの裏側が痛いらしい。
見た目も体重も何も変化はないが、気のせいかもしれないがなんとなくお腹をさわると硬くなっているように感じる。
このまま脂肪の下に頑強な筋肉が出来てしまったらただの固太りにしかならないと笑いながら
帰宅すると、さぁ始めよう!と思えるようになっただけでも効果ありと言うところか。

3日目
ビリーが来日したというニュースでブートキャンプの知名度はますます上がったようだ。
昨夜TVショップで50代の女性がかなりの減量に成功したというのを見て
ドラッグストアでカルニチンを見かけて、つい購入。
脂肪燃焼を促進して運動時のエネルギー生産を上げたり筋肉疲労を軽減するなどの効果があるらしい。
さっそく数粒飲んでから、応用プログラムを始める。
これまた気のせいかもしれないが、昨日までと汗の量が違う。
基礎プログラムよりもハードな運動のせいだろうが、汗がビタミンくさい。
鏡の前でお腹に力を入れてみるとぽこぽこと筋肉らしいかたまりが浮き上がる。
このぽっこり脂肪の塊がなくなれば、筋肉さんこんにちは!という体型になるんだなぁ・・・
目指せ、シェリー!

4日目
ふと気づくと、ストレッチを無意識にしている。
筋肉痛もあまり気にならなくなった。
と言ってもそれは身体が慣れたというより 適度に手を抜くことを覚えたからかもしれない。
がむしゃらにビリーについていくよりも きっちり筋肉を動かすような動作に変えている。
っていうか、そもそもそのスピードにはついていけてないし(苦笑)

5日目
メジャーで測ってもサイズに変化なし。
体重計に乗ってもほとんど変化なし。
しかし、ウェストらしきものが出来てきたように感じる。
体脂肪率は4%ほど減少した。
しまった!
こんなことなら先日ジーンズを買ったときに
無理しても、苦しくても、ぱつんぱつんであっても1サイズ下の方を選べばよかった。
まぁ、着て欲しがっているサイズの服はタンスの中でいっぱい待っているから、がんばろう。

6日目
お腹や腕の筋肉痛は出なくなったが、かわりに背筋や腰に痛みが出るようになった。
DVDを見ながら、実際に自分の筋肉部分を手でおさえ
ちゃんと筋肉が動いているのか確認しながらのエクササイズ。
筋肉を意識することで、より負荷がかかるようだ。

最終日
最終プログラムというだけあって、テンポがいい。
いいというより、早すぎる。
それに加えてビリーバンドを使用したので汗のかき方は尋常ではない。
プログラム全編を通して、苦手なエクササイズが見えてくる。
年齢とともに柔軟性が衰えてきたものの身体を曲げることは大丈夫。
腕立て伏せはあまり得意ではない。
ボクササイズはポーズが決まらず、どの筋肉に効いているのか不明。
1週間では満足いく結果は得られなかったけれど
毎日エクササイズする習慣できただけでもよしとするべきか。
とりあえず・・・ヴィクトリー!ってか?(笑)

2007年6月27日

Good job

昨日何気なくリモコンをいじっていたら

BSハイビジョンで「グッジョブ -Good Job-」の再放送をやっていた。

3月にオンエアしていたときは最終回が見られなかったので偶然とはいえ、ちょっとラッキーな気分だった。

いい仲間に恵まれたスタイリッシュなオフィスでの仕事はまさに理想の環境で

自分の職場と比べるとドラマのようにはいかない現実をつきつけられる。

だけど、業種こそ違え、そこで起こるエピソードは同じようなもので共感できるセリフがいくつもあった。

特に唸ってしまったのは、うえちゃんの最終回でのセリフ。

 

「最初の頃はミスばっかりで、初めてお給料を貰ったときは嬉しかったけど

私はこのお給料に見合う仕事をしたのかなあって思った。」

 

今でこそ「お局さま」と言われる存在になっているが、わたしにも「新人」時代はあった。

自分なりには一生懸命仕事をしているつもりでいたし

給与は当然、いやこれでは少なすぎると思っていたかもしれない。

入社数ヶ月で先輩栄養士が転勤してしまい、そこからは独壇場であったために責任は重く忙しかったが

栄養士の仕事って?と悩む暇などなかった。

「どうしたら自分の仕事を簡素化できるだろうか?」

ものぐさなわたしは、そんなことばかり考えていた。

今はPCもあって当時と比べたらその能率は雲泥の差だが

それでも今でもまだ「どうしたら・・・?」と考える癖が抜けない。

たぶんそれがドラマで言うところの「クリエイティブな作業」なのだろう。

新卒の栄養士が期待と夢に胸膨らませて入社してから数ヶ月。

自分が描いていた業務とかけ離れていることに気づきそろそろ不安になっている頃だろうか。

だけど。

今与えられている仕事は、明日のためにある現実。

たとえば仕込み作業のときに、野菜1片をすべて同じ大きさに切る。

その大きさや重さを記憶していくことが

いつか献立を立てるときに1人分の材料を算出する目安になる。

1つとして無駄なことなどない。

誰にでもできるであろう仕事を、なぜ、あえて栄養士が行なうのか?

それは、業務にオールマイティを求められるからなのではないか。

わたしの今の仕事も半分「雑用士」のようなものだ。

しかし、この「雑用」こそが実は業務を円滑に行なうための基本でもある。

社会に出たばかりの新人が、たった数ヶ月で見限れるほど

栄養士という仕事は、底の浅い職業ではない。

働くことで給与をもらう時点で、「プロ」なのだ。

「プロ」である以上究めてみたいと、この歳になっても思っている。

2007年6月10日

Good提案賞

現在我が国では高齢化の進展や疾病構造の変化に伴い、国民の健康増進の重要性が増大しており、健康づくりや疾病予防を積極的に推進するための環境整備が要請されています。平成12年に国民健康づくり運動として「健康日本21」が開始され、さらに「健康増進法」が改定されました。その後、食事バランスガイドや運動指針など次々に対策がうちだされ平成20年度からは「生活習慣病予防のための検診・保健指導」を医療保険者が実施することになり、糖尿病など生活習慣病の有症者・予備群を25%減少させることを政策目標として掲げています。この医療費適正化計画が施行されると、企業においても社員に対して積極的な保健指導が必須となることが予測されます。

わたしは、管理栄養士として仕事を始めた20数年前から何度となくクライアントに対してヘルシーメニューの提案を行い実施したことがあります。提供当初は食の細い女性や健康に気をつけている人には好評でしたが、だんだん販売数が落ちていきヘルシーメニューそのものが頓挫してしまった経験があります。現在担当する営業所でも最近高脂血症気味の社員割合が増加したために、保健室より健康メニューの導入の打診があったばかりです。しかしほとんどの喫食者は安価でボリューム感のある食事を望んでいて、社員食堂にヘルシー感など期待していないように感じます。ヘルシーメニューを展開しても、喫食してほしい肝心の生活習慣病予備群の人に限って選択しない現状を見ると、たとえクライアントからの依頼であっても健康メニューの実現継続は難しいと考えてしまいます。ここ数年、国民の健康に対する意識もかなり向上してきていることは確かです。身体にいい、ダイエット効果がある、というようなメディアの情報に踊らされ、紹介された商品が店頭から姿を消す現象を見るにつけ、ますます「栄養士」の在り方が問われる時期になっているように感じます。科学的根拠に基づいたデータがなくては正しい情報とはいえません。栄養士が関与する以上、正しい情報を伝えたうえに結果が出ない、改善されない指導では何の意味も持たないのです。
WSV会議に参加した際、南清貴氏の話を聞くチャンスがありました。「コントラクトフードサービスとは『食のプロ』であるはずなのに、『最近外食が続いていたから体調が悪い』と言われるのはおかしい」ということばに、わたしは強い衝撃を受けました。さらに部長の「社内には600人以上の栄養士がいる。ただの『おねえちゃんの集まり』であってはならない。世の中には栄養士でなくても栄養学に詳しい人が多くなり、情報はどんどん新しくなっていくのに肝心の栄養士は難しい言葉を並び立てるだけで栄養指導が理解されにくい。社長もこれからは栄養士が活躍する時代だとおっしゃっている。もっと情報に敏感になり勉強していかなくてはならない。」という辛辣な意見にさらに追い討ちをかけられたように感じました。

では、現状のわたしたち栄養士の役割とはどんなものなのでしょうか?この業種では栄養士はなくてはならない存在であるはずなのに、同じ有国家資格者でありながら医師や看護士などと比較してもその社会的地位や職場内の権限は低く、労働条件や賃金の面でも恵まれているとはいえません。
わたしはその原因は第1に栄養士自身の資質にあると感じています。自分の仕事に責任もプライドも持たず、スキルアップを図ろうともせず、雑務に追われているうちに数年で辞めていくような腰掛け程度の感覚でしかない者に対して会社側が正当な評価を下せるはずもありません。過去のわたしもそうでした。しかし、育児が一段落後再就職をしてみて改めて日常生活の経験、たとえば出産も育児も家庭での食事のしたくも友人と出かけるレストランでも、全ての経験がスキルアップにつながることに気づき、今までの自分の経験、知識、技術を「食」に生かせることが栄養士の最大の武器になることを知ったのです。
若くても有能な栄養士は多く存在します。しかし、志半ばにして退職していく人も多いようです。調理師とパートさんの間に入って苦労している、早朝から深夜まで働き休みもない、残業もつかない、など、栄養士会に入っているといろいろな話を聞くことができます。「うちの会社は待遇いいよ」と胸を張って言う人はほとんどいません。栄養士の仕事はどこの会社に行っても同じだと苦笑いしている場面に出くわすたびに、本当にそうなのだろうか?もっと自らが努力して勝ち取る改善策はないのだろうかと考えます。

第2の原因は、栄養士業務におけるハード面の不備です。現状ではだいたい1人の栄養士がいくつもの営業所を担当している場合が多いと思います。献立はGAMESの開発により献立作成時間はだいぶ短縮できていますが、いまだに独自の献立表を使用し手計算で栄養価を算出し発注を行っている営業所も少なくありません。全ての営業所にGAMESが普及し、営業所独自の献立も栄養価から原価計算まで自動計算されるようなシステムの確立を希望します。また、毎年保健所へ給食管理報告書を提出することになっていますが、この作業もGAMESとリンクできたら、栄養士業務はかなり簡素化されると思います。

第3の原因は、資格を生かせない環境です。就職活動をする学生には、病院や保健所などの栄養指導ができる職場へ人気が集中し、委託施設よりも直営施設を好む風潮があります。最近、「健康プログラム」の導入に向けてのトライアルが実施されました。モニターが送ってくる資料をもとに栄養計算を行い短いコメントをモニターへ返すシステムになっていました。わたしもこの会社に入社してから初めて栄養指導するチャンスをいただけました。栄養指導の基本は、まずモニターにわかりやすく指導をすることです。難しい専門用語を使っても栄養士側の自己満足でしかありません。医師から受けた説明を誰もが真摯に受け止めるのは専門家であると思うからこそで、その言葉には重みがあるのです。同様に、栄養士は「食のプランナー」として信頼されなくてはなりません。「朝食にヨーグルトなどの乳製品をくわえると、カルシウムを補うことができ、よりバランスのいい食事になりますね」というわたしのコメントに、モニターは翌日からヨーグルトや牛乳などを積極的に取り入れてくれるようになりました。アドバイスにすばやく反応してくれることはうれしいことです。しかし、もしそのアドバイスが間違ったものだとしたら・・・と考えると、改めて責任の重さを痛感します。
幸い、我が社では栄養士対象の講習会が多く、さまざまな情報をタイムリーに受けることができます。しかしその情報を反映させるだけの活躍の場が少ないようにも思います。日産自動車で行われている個別栄養指導のように、どこの支社でもクライアントから依頼を受けられるようになったらいいと思います。「安全で温かくておいしい食事」は、もはや当たり前のサービスだといえるでしょう。給食管理からみても、喫食者の健康状態を把握しそれぞれの現場にそった献立作成が重要となります。それこそが現場を知るわたしたち栄養士の最大の見せ場だと思うのです。カフェテリア方式の配膳は、お客様の嗜好に合わせて自由に選んでいただけることができますが、逆に摂取食材が偏る原因にもなります。たとえば「栄養士のおすすめバランスランチ」や「生活習慣病予防アラカルト食」のような、毎日の提供食とリンクする方法を栄養士が自由に提案できるような環境であってほしいと思います。健康維持増進が図れる食事の提供は、新たなビジネスチャンスにつながるのではないでしょうか。

わたしにとっての70周年に向けての挑戦は、「栄養士として働きたい企業NO.1を目指すこと」です。毎年約2万人の栄養士が誕生するのに実際就職するのはその半数以下です。そしてその中の4割強が工場・事業所の産業給食施設に関与しています。アウトソーシングが進む厳しい現状の中で我が国の多くの国民の栄養と健康を担っているのは、実は一番栄養士人口の高いコントラクトフードサービスに在籍するわたしたちなのです。委託施設では栄養指導ができないという意識を変えていかなくてはなりません。現在ウェルネスIT研究所で開発している「健康プログラム」はクライアントだけでなく、新規採用する栄養士にも魅力的なものになることは間違いありません。誰もが参加でき意見交換を積極的に行うことで、このプロジェクトが早期に実現できることを期待しています。来春の医療改革における保健指導の義務化は、栄養士にとって大きなチャンスとなります。このチャンスを確実に業務に生かし、栄養士が栄養学の最前線で真の「健康指導」を行っていることを広くアピールしていくことで、コントラクトフードサービスこそが「食のプロ」であることを証明できるのではないかと思います。そしてその中心に栄養士が在り続けることが、この挑戦への第一歩となることでしょう。

 

狙っていたのは、最優秀賞の60万円だったのに。

もらったのは図書カード1万円分。

なんだかなぁ・・・

2007年6月8日

クレーム対応

昨日から免許証が見当たらず、修理工場に電話を入れた。

しばらくして代車内に落ちていたと連絡があり巡回のついでに取りに寄った。

お礼を言いつつ、ちょっと昨日からくすぶっていた気持ちを伝えた。

それは、車を受け取って乗り込んだときのこと。

助手席にルームミラーが無造作に置いてあったので取り付けようとすると

なんとひびが入っていて、着脱部分が割れていた。

けいちゃんは何も言わなかったのだが、わたしは釈然としないまま。

形あるものが壊れるのは当然なことだから、壊れてしまったことはどうでもいい。

隠さずに事実を伝えてくれたらそれでよかった。

たとえそれが理不尽なことだと思っても、客商売なのだから

腹の中では舌を出していても頭を下げるべきだと思った。

だからどうしても黙ったまま修理工場を出ることが出来なかったのだ。

その後、けいちゃんが車検証を取りに修理工場に行くと従業員全員に陳謝されたのだそうだ。

なんでも、すでに着脱部は割れていて

はずそうとしたら落ちてしまってミラーにひびが入ったのだと言う。

おまけにミラーはテープで固定されていたらしい。

この車が車検を通すのは2度目のこと。

市販のミラーをはずすのは、車検のとき以外にない。

ということは・・・

ミラーを壊したまま車を返却したのはミニの正規ディーラーということになる。

修理工場ではそのミラーを持ってくれば弁償すると言ってくれたらしいが

すでにわたしは昨日のうちに処分してあり

けいちゃんもわたしがそういう性格だから気にしなくていいと伝え、帰ってきたのだという。

 

それに比べて。

TVのBSデジタル放送だけが映らなくなってしまったので

修理をお願いしたら夕方見に来てくれて、なんと無償でチューナーを交換してくれた。

保証期間を延長してなんとかかんとか・・・と歯切れの悪い説明だったが

たとえクレーム対象品だったとしてもこういうサービスはうれしい。

地デジ対応のTVを購入するときには、またこのメーカーを選ぼうと思う。

メーカーにすればそのへんも考慮してのサービスだろうが

客の購買意識を上手くついていると感心する。

2007年5月30日

育てる

衛生教育後、比較的最近入社した調理師さんが声をかけてきた。

「今日はもうお帰りですか?」

「いや、まだ浜松に戻るんですよ」

わたしが隔週で単身赴任をしていることを知ると

「女性で単身赴任なんて、かっこいいですね!僕は今まで何人も栄養士を見てきているけれど、

あなたのようなちゃんとした栄養士がいることを初めて知りました」

と、こちらが恥ずかしくなるような褒められ方をされた。

いや、衛生教育なんて、何回かやれば誰でも話せることだと思うけど。

今まで彼がいた会社はどこでも、若い栄養士は知識も技術も未熟で、人前で堂々と話ができる人はおらず

「専門学校を出た調理師になぜ大卒の栄養士がばかにされるのだろうか?

最高学歴を持っていながら使えない栄養士が多すぎる」ということらしい。

確かにわたしも彼が言うとおりだと思う。

調理ができない、包丁が使えない、献立が立てられない・・・という栄養士は実際何人もいた。

わざと答えられないような質問をしてきたり

献立を自分の作りたいように勝手に変更したり

あからさまに栄養士をばかにしているような調理師も何人もいた。

新卒の栄養士でパーフェクトにこなせる人など、ほとんどいないだろう。

調理師とパート、パート同士の間に入って潤滑剤のような働きをしなくてはならない場面では

知識や技術だけではうまく立ち回れないことも多い。

誰もがなにかしらの洗礼を受け、その環境の中で生き残れない人は辞めていく。

そんな光景をなんど見ただろうか。

そもそも、産業給食は就職人気が低い。

なぜなら栄養士は「栄養の指導に従事する者」という意識から

病院、学校、福祉施設、行政などの花形栄養士に憧れるからだ。

日本栄養士会に記述されている順番も産業給食は下のほうにあることから、その位置づけはあきらかだ。

同じ有国家資格者でありながら医師や看護士などと比較しても

その社会的地位や職場内の権限は低く、労働条件や賃金の面でも恵まれているとはいえない。

そのうえアウトソーシングが進むなか、栄養士の入れ替わりは激しく

この現状を打破するには栄養士全体の底上げをしていかなくてはならないと思う。

あらためて現場の声を聞き

これからは「育てる」という仕事をしたいと、ますます強く感じた。

2007年5月25日