小田原で雪が降っているのを見て、こりゃこの先ヤバイかな?と思っていたら東京は晴天で
浦和あたりでは屋根が白くなっていて、栃木に着いたらこんな状態です。
本当に何を着て出たらいいのかすごく悩みます。
普通の人は重ね着をしているので、1枚脱ぎ着すればいいのだろうけど
もともと1枚しか着ていないわたしはどうしろと?(笑)
小田原で雪が降っているのを見て、こりゃこの先ヤバイかな?と思っていたら東京は晴天で
浦和あたりでは屋根が白くなっていて、栃木に着いたらこんな状態です。
本当に何を着て出たらいいのかすごく悩みます。
普通の人は重ね着をしているので、1枚脱ぎ着すればいいのだろうけど
もともと1枚しか着ていないわたしはどうしろと?(笑)
先週、食堂ホールにある自動販売機でコーヒーを8本ほど購入したのですが
1個も当たらず悔しかったので、ベンダーさんが来たら本当に当たりは入っているのか聞いて欲しいと
帰り際にパートさんにお願いして帰ってきました。
言ってみるものだ(笑)
なんと、パートさんが当てたのがあるからと同僚がもらってきてくれていて
今朝、わたしのデスクにちょこんと置いてありました。
ちょっと幸せ。
グフではなくて赤かったら、小躍りしていたと思います。←もらえただけありがたいと思え。
2月に入ってから、いきなりコメントが400件以上届いていて何事か?
と思ったら、英語びっしりのスパムメールでした。
こんな誰も見ていないようなブログを攻撃して、何の意味があるんだろうと思うのですが
とりあえずセキュリティを強化して、念のためコメントが表示できないように変更をしました。
今ね、ブロックしたスパムが2万件以上になってる(笑)
PCで遊ぶようになった当時は「POPOI」「侍魂」といったテキストサイトが全盛期で
こんなふうに人気が出るサイトだったらいいなぁ・・・と何度思ったことでしょうか。
消えてしまった15年分の「ブログのようなもの」であっても
自分がいなくなったらこれはどうなるんだろうか?と真剣に保存方法を考えていたりしたものです。
スパムではなくて2万件以上のアクセスだったらどんなに幸せなことか。
まずはもっと表現力、文章力を高めないと(笑)
今日は祖父の命日。
亡くなったのはわたしがまだ幼稚園児の頃だったから、祖父との思い出はほとんど覚えておらず
葬儀の日は冷たいみぞれが降っていたなぁという記憶程度です。
祖父母といっしょに写っている写真が多いので、すごく可愛がられていたようです。
祖父は大工の棟梁でした。
気に入った材木があるとおしげもなく購入していたそうです。
弟子にはそれらを大切に扱えとふだんから厳しく言っているのに
わたしが仕事場でその大切な材木を金槌で叩くのを祖父がにこにこして見ているので
弟子たちは祖父に叱られると、わたしの顔に墨つぼの墨でいたずら書きをして鬱憤を晴らしていたのだとか。
自宅の離れには弟子たちが寝泊りしていて
母は、家事に加えて弟子たちの世話、集金、それに入院していた祖父の世話など
今となってはすごく忙しかったのだろうと理解はできるのですが
当時のわたしは、たまに母が後から幼稚園に届けに来るお弁当が嫌でたまりませんでした。
みんなが食べ始めていてもぽつんと待たされていたり、たまに菓子パンだったり。
だから今でも菓子パンはあまり好きではありません。
「食べる」行為は記憶に直結します。
祖父が好きだった日本酒を水と間違えて飲んで酔っ払ったこととか
祖母が作ってくれたコロッケとか
父が連れて行ってくれたホテルで初めて飲んだポタージュスープとか
全てが懐かしい思い出です。