同僚からお礼のメールが届きました。
おかしい、なぜバレた?(笑)
昨日栃木に出かけた際、営業所で同僚が使っているPCに
スクリーンセーバーの画像をちょっと増やしてきただけだったのに・・・
まぁ、銀魂やら薄桜鬼の画像を貼り付けるのは、わたし以外にいるはずもないのですが。
以前同じ営業部でお世話になっていた上司が入院したと聞いて、仕事の帰りにお見舞いに行ってきました。
仕事で栄養士と待ち合わせをしているときに発症し
車を路肩に止め、携帯で栄養士に連絡をしたもののすでにろれつが廻らない状況で
それを察知した栄養士が車を探し回り見つけたときにはすでに意識混濁だったそうです。
脳幹は脳神経が多数集まっているので後遺症が残るのを承知で外科的手術はしないのだそうですが
今日は同僚の名前を言ったり、聞き取りにくいけれど会話ができるまでに回復していました。
ぎゅっと力を入れて手を握ることもできるし、足は動く?と言えば足首を動かすし
こちらのいう言葉は理解しているし、帰り際にはふつうに手を振ってくれました。
それでも医師からは予断を許さない状態だと言われているそうです。
1月の新年会で会ったときに、ちょっと手がしびれていたので病院にいった話を聞いて
お互いに痩せなくちゃダメだよね、具合が悪くなったら這ってでも会社で倒れないとね、なんて笑ったばかり。
まさしく過労による労災でいいのではないかと思うのですが、実際はなかなか認定されることはないようです。
仕事は人員を増やして補っているので心配しないで治療に専念してくださいと言われたらしいけれど
今まで一人でやっていたことを複数人数でやっていることこそ、過労じゃん?働き損じゃん?と
なんともやりきれない気持ちになりました。
彼は、わたしが新卒で入社したときに2年先輩の栄養士で
仕事で同行すると、「お前といると何でもむしり取られる」と笑いながらご馳走してくれる人でした。
優しくて同僚、部下からの信頼も厚く、彼を悪く言う人は誰もいません。
時間がかかっても、また大好きな運転ができるまでに回復できたらいなと祈りつつ帰宅しました。
月並みな言葉だけれど、頑張れ!
仕事を終えて後輩とバス停に向かうと、なにやら赤色灯が騒々しく道路は大渋滞でした。
バス停の前にはパトカー、消防車、救急車が停まっていて、人が倒れているのが見えました。
どうやらバイクとトラックとの事故のようです。
バス停で待っているだけなのに、わたしたちはまるで野次馬のようです。
しかも目の前の赤色灯のせいで目がチカチカで「目が~!目が~!」とムスカ状態。
幸い、救急車の中で座っている人が見えたので怪我もたいしたことはなかったようでした。
ただ。
大渋滞の影響か、バスが20分も遅れたため
わたしは1本新幹線に乗り遅れ、喫煙車両の指定席を取り損ねたわけです。←結局言いたいことはここ
復興支援ソングの「花は咲く ~アニメスター・バージョン~」
日本のアニメーション史に残る名作のヒーロー・ヒロインたち38作品が参加しています。
東日本大震災から5年を迎えた翌日、3月12日の夜にNHKで初放送されたそうですが
今は、東北のみならず日本中の力になれるのではないかと思います。
とは言っても精神的な支えだけでは生きていくことができないのも現実。
避難所の物資不足やライフラインの復旧などが進まないことには、被災者の生命は守れません。
以前町内会長をしていたときに、避難訓練をして避難先の小学校の備蓄などの確認もしたのですが
世帯数に対して絶対的に備蓄物資は足りていませんでした。
要するに、家屋が全壊、半壊して自宅での生活ができない人が最優先であって
自宅にいられる人はできれば来ないで欲しいと言っているようなものです。
地震発生後、娘はティファをどうやって災害から守ろうかとシミュレーションをしています。
猫だって大事な家族です。
ペットと安心して避難できるような環境であってほしいですが、迷惑がられるのではないかとも思います。
おとなしくキャリーケースにおさまっているはずもないので
ケージを持っていけるように考えなくては・・・
過去の教訓を生かして、まずは72時間を自力で踏ん張れるだけの対策をしておくことが必須です。
でも、のどもと過ぎれば・・・って感じなんだよね。
昨日ミーティングを終えて帰る新幹線の電光掲示板で、地震速報を知りました。
13日に会議で九州の後輩と話をしたばかりだったので心配になりました。
福岡は震度3~4だったけれど、工場はちょうど夜勤食を調理している時間帯ではないかと思うと
いてもたってもいられず、従業員の安否やら被害状況などを確認し報告するよう
アドバイスをメールしておいたところ、とりあえず無事の確認メールが戻ってきてほっとしました。
わたしも、東日本大震災、静岡と2度震度5強を経験しています。
たった2回なのに、あの揺れや避難警報の音は忘れることができません。
まだ東日本大震災の復興も終わっていないというのに
いったい日本列島、いや地球はどうなっているのでしょうか?
どうか被害が少なくて済むように、被災者の方々が普通の生活に早く戻れるよう願うばかりです。
傘を開こうとしたら
バキッ!ビューン!
手には柄だけ残り、傘が飛んでいきました(T_T)
事務所にずっと置いてあった後輩のものを借りていったのに・・・
いくら100均だとはいえ、1年放置したらそんなに劣化するものですかね?
それともわたしの手が、なにか怪しげなビームか何かを発したのでしょうか?
4月7日に叔母が亡くなり、葬儀に参列してきました。
パワフルでバイタリティーに富み、物事を何でもはっきり言う叔母でした。
教育熱心で、わたしが私立中学を受験することを知ったときにも、なぜ県立高校を目指さないのか?と言ったほど。
その後「小さい頃は将来どんな風になるのか楽しみだったのに、案外まともにまとまっちゃったね」と
叔母のなかでわたしはいったいどんな期待をされていたのかと苦笑いをしたことを思い出しました。
晩年の祖母が、叔母とわたしの名前をよく間違えるくらいたぶん性格が似ていたのだと思います。
場内で流れていた画像に、祖母と子供たち3人の記念写真があって
思いがけず、若い父に会うことができたのですが
全員がいなくなってしまってもう会えないことが、なんとも寂しく感じられました。
叔母さん、もう叔父さんに会えましたか?
おじいちゃんやおばあちゃん、お姉さん、それからわたしの父にも会えましたか?
きっとみんなでそちらの世界がにぎやかになるなぁと笑っていることでしょうね。